難易度

日々

はじめること

いつもの暮らしを続ける中で、だんだんとその世界から抜け出せないようになってくるね。いつも何か新しいことを始めたいと思って、本屋さんで書籍を探したり、ネットで調べたりするところまではできても、その後最初の第一歩を踏み出せる人はぐっと減ってしまうらしい。あなたはどうかな。ぱっと面白そうだと思って調べているうちに、やりたい気持ちがどんどんやれない理由で埋め尽くされて、ああ、やっぱり始められそうにないと落胆することばかりかもしれないね。それは費用がかかったり、場所がなかったり、機会を見つけられなかったりで理由は山程出てきたりする。やりたいと思ったことのほとんどがそうやってこれまで抹殺されてきたね。でも払えるお金を持っていて、場所もちょっと不便な場所を探して、コミュニティなり先達なりを探しながらでもできるころから始められることも知っているはずだよ。

やめること

そうやって首尾よく始められたことは、せっかくなので続けようと頑張るだろう。ところが、やっているうちに違うことに関心を持ったり、それをきっかけに当初とは違う目的に変わったりすることもよくあるね。でもせっかくこれまでやり続けてきたことを今度は簡単には手放せないようになる。だからこのままではいけないと思いつつ、思うように柔軟に方向転換することができなくなる。自由を求めて始めたことなのに、不思議なことに今度は行動を縛られる原因に変わってしまう。それもこれもあなたの思考の癖がそうさせているんだよ。始めたことは続けなければいけないなんて誰が決めているのかと探してみれば、そこにはあなたしかいなかったりするわけだ。

続けること

継続は力なり、なんていうからあなたは続けていればなにか良いことがあると思っている。ところが来る日も来る日もそんなことは微塵にも感じられないね。だって始めた当初とは気持ちも姿勢も全く違ってしまっているから、そこから見える世界にきらびやかな色彩が消えて灰色になっている。ならなぜ続けるのか、と問われたらもう理由もなく意地のようなものでしかないね。すでに理由はそこになく、慣性の法則のようなものでその根底にあるのは、「その方が一番ラクチンだから」だね。そしておそらく「思考停止」して余計なことを考えなくてすむという利便性もある。そうやって惰性で続けていても、それが積み重ねれば必ず良いことがあると信じて疑ってはいけないというのは、一種の宗教のようなものだね。風習とか慣習なんかもそれと同じで、先祖代々それをしてきたから今があるということでなんだかよくわからないことを続けることが優先される。それをやめるとか言い出せばそれこそ村八分になるかもしれない。だから、一番むずかしいことは、始めることや続けることよりもやめることなんだよ。