損して得とれ

日々

勘定と感情

いつも損するかもしれないと恐れている。常に得なことがないかと求めている。そうやって損か得かを常に考えていてとにかく出ていくお金はできるだけケチって、入ってくるお金はできるだけ多いほうがいいと思っている。まさにそれが資本主義社会であり、お金中心にあらゆることが決まっている社会を生き抜くために必要なことだと思っている。確かに法人は期間を決めて収支を明らかにしなければならないし決算もある。だからそこで区切りをつけてプラスかマイナスか、黒字か赤字かでいつも戦々恐々としているね。お金の出入りによって心まで乱れてしまう。まさに勘定が感情を左右するってわけだ。

儲かる

儲かるとは、支出を減らして収入を多く得るということだと多くの人は勘違いしている。だからこそ支払いは最小限にしようとする。けれどそれは誰かが支払ってくれた分を踏み倒そうとする行為だね。逆の立場であればあなたが然るべきコストをかけて作った製品を安く買い叩かれることと等しい。あなたはそのときどんな気持ちになるだろう。きっと切なくなるわけで、それと同じことのやり合いをするのがビジネスだと思っている。本当にそれをビジネスと呼ぶのなら、一番最後の取引がすべての帳尻を合わせてくれる仕掛けはどこにあるのだろうね。誰かが得をすると必ず誰かが損をするのか、それともみんな得をすることができるのか、それはまさに経営哲学の命題だね。できればみんなハッピーになれるといいのだけれど、いつもそれを考えている人がどれくらいいるだろうね。そうでなければ単なる騙し合い、奪い合いをカッコつけてビジネスと呼んでいることになる。

支払える喜び

思った価格で売れなかったり、業績が目標に達しない時、法人という人でもないのに人のように扱われるその組織は、なりふり構わず行動することがある。それが国単位では戦争になったりもうするね。悪いことにそれはたいていうまくいかないことが多いね。なぜなら求めるばっかりで出すことをケチってしまうからだね。呼吸のように吸ってばかりでは苦しくなる。むしろきっちりと息を吐ききることで新鮮な空気がたっぷりと吸うことができる。求めるばっかりになってしまったときが実は一番損をする。そこに気づかずにいるから悪循環の罠にはまってしまうわけだね。差し出したり支払える喜びを真に感じたときにその分だけきっちり得ることができる。支払いたいから与えられるわけだ。とにかく損することから脱却するためには、普段考えていることを逆転する必要があるわけだね。お金持ちのところにお金がどんどん集まるのはそういう仕掛けだろうね。