それじゃない
ちょうどいい
何でもちょうどいいものが愛用品となる。ただ単に見栄だけで買ったものは1ヶ月も使えない。正確には使っているけれどもしっくりこないままっていう感じかな。あなたが求めている使い勝手とか機能とかがぴったりと言わないまでもそこそこ及第点であれば、それが高いものでも安いものでも新しいものでも古いものでも関係ないはずだね。ところがちょうどいいのにも関わらず、ブランド物ではないとかメーカーがダサいとか生地が牛革ではないとかで使えるのに使わない。かつての物欲はちょっとしたストレス解消になっていただけなのはここだけの話にしておいてね。
比較
憧れのあの人が使っているから同じものが欲しい、なんていうのも同じだね。その場合はそのモノの良い悪いではなく、あの人と同じモノを使っている私を私の外から俯瞰してみてかっこいいと思いたいだけのこと。だからあの人のことに飽きたらすべてがゴミになる。そのゴミも高い安いはもはや関係なくなるね。今ではメルカリに出して売ってしまえるかな。そうやってこの世に生まれてきたモノと言う名のあなたの欲望がぐるぐる社会を駆け巡っている。誰かと比べたモノ選びをしてもあなたにとってそれがベストである必然性はまったくない。むしろ、誰かにとってではなくあなたにとっての最高の傑作を見つけるには、あなたがそれを見つけるしか方法はないね。もちろんきっかけとしてはとりあえず真似をするというのは悪くはない。
逸品
モノとあなたが阿吽の呼吸で呼応しあっている。それはあなたがそれを生み出したからとも言えるね。無数にあるモノの中からあなたがそれを見つけ出したのは、必然でもある。さらに欲が出てもっと良いモノがあるはずだと疑ってそのモノとの決別があったとしてもそれもそうなるようになっていたわけだ。いずれにせよ、すべてが満点なモノが良いなんていう凝り固まった固定観念で支配されているうちは、本物の逸品に出会える準備ができていない。YouTuberやインフルエンサーのレビュー動画をまるごと信じるのはやめたほうがいいのは、思考停止で洗脳状態になっていることに気がつかないままになるからだよ。あなたに見いだされるのをずっと待っているモノはきっとそのコスパ最高のそれじゃないね。