見栄が見え見え
まぁまぁおいらもすごいんだけど、なぜか報われない
自分なりに努力してきたし、頑張ってきたし、我慢してきたし。それなりに人脈もできたし貢献もしてきたつもり。そんな半生を振り返る。
それなのになんかよくわからない人からバカにされるなんて耐えられない。見栄っぱりは意地っぱり。そう思うと、チャレンジできることがとても少なくなる。
いまさら?とか、またはじめから?とか。そんなことしたらバカにされる。失敗したらカッコ悪い。見栄が心も体もカチコチに固くしてしまう。
これやってみようかな。でもなー無理だろ。時間も無駄だろ。あれはどうだろう?ああ、あれは一回試したことあるけど簡単にはいかなかったよ。ああ。それ?それはもうやったことあるし。
いろんな制限を自分でかけて自分で縛って思考だけが文句を言う。文句マシンとなった高性能な言い訳捏造回路は、できる可能性よりできない言い訳を何百と思いつく。
あらゆるすべてを全部周りのせい、人のせいにして、他人の目が気になって、嫌われたくなくて、できれば好かれたいし、悪く思われたり変なやつともいまさら言われたくもない。
だから今日も誰かを蔑んで、批判悪口専門家になっている。まるで未来のことをすべてお見通しの神さまのように。
この世に自分しかいなければ、そんな感情は生まれるはずもない。なのに、常に気になるのは周りの評価。他人の評価。そんなに心配しなくてもそんなに他人はあなたに興味なんかないよ。自分のことで手一杯。
いつも頭の中では、孤独のヒーローであり、やることよりやらない言い訳を考えて、見栄とプライドをごちゃまぜにしてその場でうずくまっている。
ほら、言わんこっちゃない
そんな見栄が見え見えなあなたを見て、だれもがあなたをヒーローなんて思っているわけない。老害なんて言う言葉はショッキングで、自分だけはそうじゃないと思いこんでいるけど、できない理由博士になっている。もはやその段階で立派な「なにもしない人」に成り下がっている。たぶん自分でも薄々それに気がついている。だから自分より弱い誰かをいつもさがして、どうせダメだろうと言い放ち溜飲を下げている。ほら、失敗しただろう、俺の言った通りだ。ふふん。
見栄はどこから来るのか。どうしてそんなに周りの目が気になるのか。一番の理解者はあなたしかいないのに。
他人のアドバイスは自分のためのアドバイス。それはよくなるためのものであって、見栄のためではない。一歩踏み出すのを邪魔しているのは積み上げられた見栄。その見栄は自分の体からでた垢からできている。垢を落とすためには鼻歌を歌いながらシャワーを浴びよう。スッキリする。
失敗も成功もカッコ良いこともカッコ悪いこともすべてが宝物。だってそれは生きていることそのものだから。どれもこれもこの世を使って体験できる唯一のこと。
単なる頭の妄想からくる見栄を捨ててまずは自分のために何が出来る?そうすると失敗も自分だけのかけがえのない素晴らしい体験になるよ。きっと。