人生の無駄
常識
あなたが当たり前だと信じていることはあなたにとっての常識であって他人にとっては違うかもしれない。あなたは極めて紳士的でかつ常識に敏感な方だと自負しているけれども、それでもあなたのその正しいと思い込んでいるそれは世間とは少しずれているかもしれない。というよりもむしろずれているに違いないと思う方が自然だね。あなたにとってのいつものことは違う人から見ればとんでもないことになる可能性は十分にある。くだらない話だけれど、蕎麦の正しい味わい方なるものがあるらしい。とにかく素材の味や本来の香りを楽しむための作法のようなものがある。でも食べるのは生きていくためのエネルギー摂取でしかないわけだから、どう食べようと口に運んで飲み込んでしまえばあとは胃腸が勝手に消化して体内に吸収してくれる。それが本来の目的であってそれ以外は全部「楽しみの一つ」でしかない。でもそれを全く守らないで食べる人をあなたは野蛮人として軽蔑するだろうね。
合目的
それを言うなら、生まれることは死ぬことにありとなってしまう。死ぬために生きるということが究極的に目的となればできるだけ早く死んだ方が目的を達成したという結論になってさすがに困ってしまう。だから人生のほとんどは暇つぶしであると言われて久しいね。暇つぶしなんだから目的とやらに反していろんな細かいルールを作ってそれを無意味に守るということが文化的創造だと主張する。それも一理あるね。だから蕎麦の食べ方ひとつをとってみても、いろんなうんちくを語ることができるということは壮大な「暇つぶし」を十分に満喫している人生の正しい姿だともいえる。もちろんそれがすべての人の楽しみになることはできない。だからあなたにとってのこだわりなんていうのを好き勝手に生み出せばいいね。ただし、それは他人に強要するのは無粋であって、ひそやかなあなただけの楽しみにしておけばいい。もちろんあなたに賛同して一緒になって楽しんでくれる人がいればそれに越したことはないけれどね。基本そういうこだわりはあなただけのものだと思う方がいいよ。
趣向
美味しくても不味くてもエネルギーを摂取すれば生命活動は維持できる。食べるという行為の目的はその一点でしかない。現代では食をエンターテイメントまでに昇華しているね。それが文化と呼ばれる非生産的活動の一部となっている。それを無駄だからやめろという人がいるけれど、無駄を排除し目的に沿った行動だけにすればそう言っているあなたたちだって存在できなくなる。だから無駄は無駄じゃなくて必要なんだよ。すべての人という動物に共通なのは無駄を楽しむために生きているといってもいいね。無駄を徹底的に排除して子孫繁栄だけに注力している生物を観察すればその意味がよくわかるはずだよ。だから素敵な無駄を与えられし人類は大いに楽しめばいい。それが許された唯一の生物だからね。