役立たず
人生暇なし
仕事をすることが人生のほとんどのように考えている人が多いね。多感な学生時代は社会に出る練習として捉えて、人生という本番は社会に出てからと思っている。子どものためと思っていることには社会に出てから役に立つかどうかという視点でしか親は見てないし、社会に出たあともキャリアアップだのブラッシュアップだの上昇志向が正解でその研修でアップアップだね。その姿をじっと見ている猫のタマにはどんな風に見えているんだろうね。人生は短くかつ儚いので、実は仕事なんてしている暇はない。なんて言うと総スカンを食らうだろうけれど、しっかりと仕事をすることが価値があるだなんていう時代はすでにオワコンになっている。それが証拠にどれだけ皆が勤勉に働こうともちっとも豊かになんかならなくなって久しいね。気がつけば世界でこの国だけが20年間もずっと経済的成長が頭打ちになっているみたい。でもそれは悪いことだけじゃなくて良いことでもあると思うよ。
働きアリ
よくよく考えてみれば人類のほとんどは働きアリとして扱われているね。なぜ働くのかというと端的に言えば資本主義経済を支えるためだね。身近な視点に落としこめば生きるのにお金が必要な社会だからだ。米や野菜はその気になれば自給自足でなんとかなるかもしれないけれど、スマホの通信代や電気・ガス・水道などのライフラインは米や野菜で直接は支払えないね。だからそれを売ってお金に変えるか、ちょっと働きに出てお金を得るしかない。そうやって得たお金をまたどこかで使ってくれるから企業はそこから儲けを得ることができる。もし誰もお金を稼がなくなったら、誰もお金で買えるものを買えなくなるから企業もどんどん潰れてしまうね。だからお金を使わないで暮らしている人をできるだけ少なくしようとする。何をするにもお金が必要な社会だからこそ、人類のほとんどは勤め人として働く必要がある世の中が成立するわけだ。
勤勉
だから幼き頃から真面目・努力・勤勉が素晴らしいことでサボったり手を抜いたりダラけただけで罰を受けてきたわけだ。大量の宿題や課題に追われ、常にテストでケツを叩いて脅かしてきたわけだね。そうしないとすぐに人は楽しいことだけをしようとするからね。だから立派な社会人だなんていうゲスい言葉を賞賛の言葉として使わせようとしてきたわけだよ。そうやってすっかり勤労・勤勉が素晴らしきことになり、今ではどれだけ年をとっても社会に貢献しなさいと「やりがい搾取」が横行しているね。そういうのは他人がとやかくいうことではなくて、本人がしたいようにすればいいだけのこと。なんでもかんでもそうやってドラマなり映画なり番組なり学校なりに押し付けられて資本主義社会が成立しているわけだよ。結構これはムリが出てきているからこの国はそのスキームから外れてしまったことがそれほど悲劇でもないかもしれない。働かなくても生きていけるようになるのが本来の姿であることは間違いないね。それでもあなたは自由が素晴らしいという。その自由も仕組まれた自由の中で踊らされているだけなことに気がつかないかな。まぁ気づかないならそのままがいいね。