夢なんか捨てよう

日々

夢を持て

少年よ、大志を抱け、なんてクラーク博士が言ったように夢を持つことは良いことだとおそらくはほとんどの人はそう思っているね。小学校の作文のテーマでもよく取り上げられているから、一度は「私の夢」などのお題で書かされたことがあると思うけど、どうかな。それが得意だったり苦手だったり色々あるだろうけれど、夢があるなんていう人生は概ね素晴らしいと教えられてきた。夢とは生きる目標であって、苦しいときの希望であり、それを耐え忍ぶ原動力だと本当に感じているだろうか。夢ばかり語る人には真の魅力がそこにあるだろうか。そしてあなたは今でも夢とともに生きているだろうか。

あるべき未来

未来はたしかにあるべき姿だと思っていることであって欲しいし、そのために今何ができるかという視点は大切だね。大きな夢を持つロマンティストは、叶えたい世界が大きすぎて今を堪能している暇などないと言う。そんな今のちっぽけな幸せより、まだ来ぬ夢に向かって一歩一歩前に進むための努力と鍛錬がより多く求められる。だから今に呆けている場合ではない。良いことはすべて未来にあって今にはないという考えみたいだけれど、それで本当にその大きな夢が叶うのだろうか。夢の実現のために今ここを軽んじることは、身体を壊すほど働くのは将来の安定のためだと言うのと同じに見えるけれど、はてさてあなたはどう思うかな。

夢はいらない

夢がないよりあったほうがいいとかまことしやかに言われているけれども、これはおそらくそのほうが都合がいい人が操っている嘘だろう。今ここに目を向けないようにすることで、厳しいのが現実で楽しいのは未来という図式をでっち上げただけ。小さな子どもたちに親や学校は「今は我慢しなさい」といういことを繰り返し教えている。臥薪嘗胆、欲しがりません勝つまでは、なんてかつての戦時中の教えを今でもそのまま引きずっているのが恐ろしいね。受験でも成績でもとにかく頑張るに越したことがないのは、今は辛いだろうけれど将来幸せになるためのステップだからと思っている。とにかく今は辛い、でも未来は明るいという洗脳からまずはあなたが解き放たれなければならない。それ、真っ赤な嘘ですから。明るい日と書いて明日と読むのよ、なんて最悪な言葉を捨てて今ここが最高なんだと感じて生きることが、結果的にすべてが「良きもの」になるのはもうすでに知っているはずだからね。