余計な力
少しずつ
慌てていっぺんに掃除したりするたびに、普段から少しずつしておけばよかったなんて思ったことあるよね。やるべきことを毎日すこしずつでもいいからすすめていれば、のっぴきならなくなってからやるよりも落ち着いて慌てずにできる。その利点はその時間がよくよく考えてみればご褒美タイムであることだね。慌ただしく時間もないなかでも、それをすることでほんの一瞬時間がゆっくりと流れることを体験する。不思議なことにこれが習慣化すると特に苦もなくいつものことの一つとして無意識にできるようになる。歯を磨いたり顔を洗ったりするのと同じ精神的負荷でこなせるようになる。だから世にはやるべきことを習慣化するためのノウハウが溢れているわけだね。とにかく好きなことと嫌いなことをわざわざ生み出して、嫌いなことに対してより精神的負荷を上げることによって好きなことをより好きになるようにしているのは、紛れもなく「あなた」だということを忘れないようにしたいものだね。
頑張り
だからといってアリとキリギリスの童話のように、コツコツと積み重ねてやることが何も偉いわけではない。童話や寓話には生き方を規定する効果を狙っているものがほとんどだね。そうやって幼い頃からある一定のあるべき姿を教えている。努力をすれば必ず良いことがある、ということは現実にはまやかしではある。しかし努力をして狙っていた効果がなかったとしても、努力をしたという事実は他の要素に対して思わぬ効果があったりするから不思議なものだね。でもここで注意しておきたいのはそうやって頑張れば良い子的な思い込みが、必ずしも皆を幸せにする価値観ではないということだね。歯を食いしばって頑張ることで、それ自体の充実感を得られるならばそれはそれで完結している。ところが、頑張ったのにどうにもならないじゃないか、と思うのならそれは頑張るべきことではないということ。これもそれを峻別できるのはあなただけ。だってそれら演技の総合演出家はあなたなんだからね。
脱力
継続は力なりということわざがある。この真意は頑張って歯を食いしばって頑張らないと続けられないことは諦めたらいいってことだね。好きこそものの上手なれということわざもある。好きなことや夢中になっていることはたとえ周りが止めたとしてもあなたはやり続けるだろう。そして誰もがはじめから名人ではないので、最初は思うようにいかなくてもどかしい日々が続くね。それでも楽しいから何度も何度もやり続けるわけだ。これをあなたの外側から見ると、とても苦労して頑張って続けているように見える。だから頑張ると誰もが結果を残せるようになり、その血と汗と涙の結晶は実を結ぶことができたなどという感想に置き換わるわけだ。ところが当の本人はそうではないね。ただ好きだから試行錯誤していただけであってそれ自体まるごと愉悦な時間だったわけだね。まるごと楽しむときに、人は適度に脱力して無駄な力がどこにも入っていないらしい。さて、あなたはどこかにもし疲れを感じているのならこのことを思い出してみてね。