成就

日々

存在意義

あなたはもともとインドア派で外でアグレッシブに活動するよりも、家の中でのんびり静かに過ごしたいと思っている。そういう個性や好みが尊重される時代にあってそれはどちらが良いとか悪いとかではなく、あなたが本当の心が落ち着く方法であれば何でも良い。どっちでもないと思っている人も多いだろうけれど、言葉は両極端に表現するツールなのでどれにも当てはまらないあなたで良いということだ。つまり行き着くところはありのままでありなさいということだね。どこにもムリがなく、他人の顔色を伺うこともなく、だからといって自己中で他人に迷惑をかけることもなく、究極的には無私状態でやっていることで良いということになる。自分がなくなったら意味がないと思っているかもしれないけれど、自分を大切にし続けるといずれは自分なんてどこにもいなくなるという矛盾に気づくときがくる。自分という存在は他人という鏡があって成立するものだからね。そう、もともと自分とおもっていたあなたはどこにも存在せず、他人の鏡が映す単なる虚像に過ぎない。

変化

変化を求め続けられる時代に生きている。あなたが知っている彼らはそのために全力で行動している。一方あなたは変化を恐れて波紋をおそれてそっと小さく動くように心がけている。それは大きく行動する彼らの写し鏡としてのあなたがそこに投影されているわけだね。とにかく行動することは本来あなたに備わっている最大の能力なんだけれど、それを封印して静かに息を潜めて過ごすのがほとんどの人にとっての幸せになっている。大胆な行動による失敗をダメなことだと教わったのは、大胆な行動が常となればそれによる差はほぼなくなってしまう。そうなると困る人がライバルを出し抜くためにまるで嘘情報で攪乱する作戦と似ているね。もちろん、そうしたくないと思わされているあなたに絶対そうするべきなんて言う必要もない。それを知ったということはその先もすでに知っているからだね。変化をしなければとことさら強調しなくても、お家でぼーっとしているあなたもしっかりと変化しているからそこに騙されてはいけない。何も思い切ったことをしなくても大丈夫なんだよ。

席替え

あなたがとっても気に入っているシートがあるね。居場所といってもいいかな。そこからいつもいろんなものを眺めている。そのシートを一旦変えてみるのも一興だよ。まるで学生時代の席替えのようにね。究極的にはどこに座ろうとも何も変わらないだけれども、あなたにとってはそれは一大事だったね。もちろん角度や距離がほんの少し変わることで、ちょっとは先生の監視から逃れられるんじゃないかという淡い期待がそこにあった。でも一番の願いは好きな子の隣にならないかいつもドキドキしていただろう。その願いは虚しく叶わずじまいだったかもしれない。けれども席替えのたびにあなたはドキドキできた。それが何を意味しているかと言うと、席替えを実施するのもしないのもあなたがそれを決めているということ。それはやってもやらなくても大した変化はないけれども、そこにドキドキ・ワクワクできるかどうかが一番の目的だね。すでに変えてみたらどうなるのかな、と思った理由はそうなった絵があなたの世界に出現したからだね。願いはすでにかなっているからその後は好きにすればいいってことだよ。