アダルトチルドレン

日々

子ども時代

子どもだったあの頃に、あなたはこんな大人にはなりたくないといつも思っていた。子どもだったあの頃に、漠然とした夢はいくつか持っていた。もちろんそれをどうやったら叶えることができるのか、なんていう具体的なアクションプランは知らなかった。夢は持たないより持ったほうがいいと当時の大人たちがそう言うので、あなたは得意げに夢を語ったね。今になって思うことは、子ども時代は誰もが通るステップだということ。だからどんな大人を見たところで、かつての少年、少女時代があったことを確実に感じられるね。どれだけ社会的地位が高かろうが、いつもおっかない顔している上司であろうが、80歳を超える老夫婦であろうが、だれもが一度は通ってきた道である子どもという時代は必ず存在し、今とは無縁な隠れた部分がそこに潜んでいる。

大人こども

そうして立派に成長したという証が、子どもじみたことを言わないようになることだね。逆に言えば、ただそれだけで大人になったということだ。社会的責任を負うとか、民主主義に参加できる権利を持つとか、そういう法律上の成人としての建て付けはどうでもよい。それらは社会の都合で押し付けているルールであって大人になるという本質ではないからね。今はそれが18歳に変えられたね。大人として自己責任を持つようになれとか正しそうな講釈を垂れるエセ大人が言うことなんて右から左へ聞き流せばよく、そんなことよりも大切なことは子どもの頃の無邪気さと好奇心を忘れないように生きることだね。すなわち大人と子どもの線引は社会が勝手にやることであって、あなたの人生には全く関係のないことだね。だからムリして大人びなくても大丈夫なんだよ。

説明責任

今少しだけ社会が懸念しているのは、18歳に成人年齢を引き下げたことで金融関係の契約をきちんと処理できるかどうかということらしい。クレジットカードやいわゆる高利貸しからお金を借りてしまうのではないかと心配している。それはそういうことをしっかりと学ぶ機会を与えればいい。逆に徹底的にお金に関してはタブー視してきた学校という変な機関が悪いね。そういう理由だから今度は先生がお金に関する授業をするらしい。けれどこれも先生自体がお金のプロではないから効果があるのかどうかは疑わしい。そういうことでうまくいくかどうかはこれからの様子を見るしかない状態らしい。なら学校の先生はエセ大人の一種かもしれない。逆に大人が子どもを教えるという形式をやめて皆で学ぶ体制に変えたほうが自然だね。先生は絶対的に物知りでかつ経験豊富であって、それらの知恵を子どもたちに教え与えるという形はすでにオワコンなのかもしれない。ともに学ぶという新しいカタチに変えることこそが責任を負うという社会的ルールに沿った行動だと思うけれど違うのかな。しらんけど。