明日に向かって

日々

ありがたい

ふとした時にすべてが奇跡だと感じるときがあるね。いつものごとくトラブルは相変わらず起きるし、もちろん思い通りになんていかないんだけれど、結果的に全部クリアになっている。そんなときにふと感じたりする。もちろん何事もなくスムーズに事は進むほうが楽でいいんだけれど、なんだかんだですべてがなんとかなっていて、面倒事が一応解決していることが実は奇跡のタイミングだという事実を再確認したときにちょっとした感動を覚えたりする。そのついでに考えてみれば、ほとんどすべての事柄がつながっているかのように関連していて、なんだかすべてのつまらないトラブルがあなたを応援していたのかもしれないなんて勘違いしそうだね。もっと言えばそもそもそういういろんなものに支えられてあなたが今そこにいるなんて思えたら、あなたはほぼ神になる。

謙虚と謙遜

相手を敬って自らをへりくだることが視点を変化させるいつもの練習になる。でもそれは自らを卑下するのではなくどちらかというと素直に甘受すること。現代では甘んじて受け入れるという意味合いが良くないけれど、基本は満足して受け入れることに本来の意味がある。要するに他人の示唆を積極的に取り込んでさらに良くなるという姿勢だね。どうしてそれができるようになるかというと自分の主張を抑えることができるから。無私とまではいかないまでも、いつまでも自我が強すぎるとあなた以外の場所からくるアドバイスや有益な視点をシャットアウトしがちになる。それができるかできないかのスイッチが奇跡を感じつつ感謝の念がそこにあるかどうかで決まる。特に自分なんてと思う必要もなく、逆に自信がありません、なんてしおらしくしているようで実はそんな自信のなさを相手に押し付けようとしているだけだね。結局それは自信がないという嘘の演出で自我を引き出していることと同じだ。

満たされている

とにかく奇跡に謙虚に感謝すると、あらゆる困難が宝物になる。さらにそれらはすべてあなたのためだけに起こっているように思えるのなら、いつもの厄介事が愛おしくなる。加えて今まであなたを悩ませ続けたいろんなコンプレックスが単に勘違いだと知ることになる。あなただけの特別席を与えてくれたのがまさにそのコンプレックスであり、それがなければ今のあなたはいないということを知る。すべてが絶妙なバランスで存在しており、それらのおかげで今がある。そうしてあなたはいつもの暮らしの中で十分な幸せをもうすでに得ているという事実を前にして、それ以上の何を求めるのかを探し求める旅に出る。それは不満とか不足という出発点ではなくて、充足と幸福をベースとしているので、予測不能な未来に対しての力強い推進力となる。そう、明日という字は明るい日と書くのよ。