中心はいつもあなた

日々

あなた

世界はあなたが見た風景でできているから、いつもあなたが世界の中心になる。逆に言えば見えないところには想像も及ばない。だから実はその大きな絵の一部しかあなたは見ることができない。その一部をもって世界を把握したような気になっているというのが本当のところだね。その小さな窓からあなたが見たままのことが真実となり、あたかも一を聞いて十を知るような気持ちになり神という存在に近い。あなたはあなたの周りの2,3人を見て、それをほとんど皆んなだと思いこむし、全世界のことをいつも考えて客観的に見ていると思いこんでいる。あなたほど慈悲深く思慮深い存在はいないから、他人の浅はかさを嘆くようになる。

自己

あなたが感じることや考える出発点はすべて自分中心でしかない。それ以上を類推したりできるので公正・公平だと思いこんでいるかもしれないけれどそれは勘違いだね。あなたを中心にしないと世界が始まらないし、あなたが観測点の中心にいないと何もそこからは見えない。だからこそ世界はあなたの思い通りだとか、すでに思いが実現しているとかという怪しい言葉が囁かれるわけだけど、仕組みは単純で見たようにしか見えないというだけのことだね。赤い花が青い花になれと思っても赤い花でしかない。逆に言えば赤い花を認識した瞬間にそれがそのとおりだということが叶っているとも言えるわけだ。なんか騙された気になるかな。

中心

世界の中心はどこにもない。どこまで探しても世界の中心は見つからないね。目の前にとてつもない大きな絵が広がっているようなものだね。あるいは砂漠の真ん中にぽつんといるようなもの。その絵や砂漠の中心を探すには、その全体を俯瞰できないと探せない。宇宙の中心を探すようなものだからね。それでもかなり宇宙の謎が解明されてきたとはいえ、仮にその果てが見えたとしてもその中心にあなたは一生かけてもたどりつくことはできないね。すなわち、あなたはすべてあなたを中心にしかみることができない。さらにそこがあなたの世界の中心となるわけだ。決して客観的に世界という全体から何も観測することはできない。そういうことだよ。