ニュースを捨てよう

日々

ニュース

世間を飛び交うすごいことや稀なこともなく、あなたの人生は淡々と進んでいく。特別な日とか注目されることとか世界記録とかそんなものとは無縁な人生だね。若い頃には夢を持てとか言われて大人になったらそこそこ世間を賑わせる一角の人物になってやろうなんていう野望もどうやら叶わぬ夢となりそうだと思っている。それでもまだ未練がないといえば嘘になって、自分自身は大器晩成の人かもしれないと淡い夢を捨てたわけではない。しかしこれまでの経緯を体験してきたあなたにはそれがどういうことかもわかるようになってきたのは否定できない。そう思ったらニュースから離れてみよう。何も世界のニュースなんて知らなくても生きるのに全く支障はないことに気づくよ。ひっきりなしに極端なことだけニュースになって世界を駆け巡り、あなたの人生と比べさせられているけれど、おそらく99%以上の人々はニュースにもならない日常を生きているのは間違いないのだからね。

あなたの人生

やってみたいことがずっとあって、それをやるのに手が届くのなら迷わずやってみたらいいね。そうすることで確実にあなたの人生のニュースになる。何も特別なものでも記録的なものでもなくていい。ただやってみたいと思うことをやってみたという体験だけが人生そのものだね。食べたことがないものを食べてみたり、行ったことがない場所に行ってみたり、やってみたいスポーツにチャレンジしたり、興味があるビジネスを立ち上げてみたりすると、それらが世間のニュースにはならない些細なことであっても、あなたにとってのスペシャルな体験であれば十分だね。そういうあなたにとっての特別なことを積み重ねて生きることを楽しむのが本来の生きざまなんだよ。それがいつの間にか極端なニュースに惑わされて、他人と比べさせられることでずっとあなたはあなたの心の声を聞くことができないままになっている。だからニュースは見ないほうがまっすぐ自分と向かい合えるね。

成功と失敗

やってみた結果はおそらくほとんどが世間で言うところの失敗だろう。しかしそれを失敗だと思っている基準はどうやって形成されてきたかに気づくと安心するね。そう、失敗や成功なんてそういった世間の特殊なニュースで決められているし、気がついたらあなたもそうしている。そもそもやってみたいことがあってやってみた結果はやってみたよっていうだけ。それを成功とか失敗とか分類整理しなければ気がすまないと思い込まされ、挙句の果てには次回へのフィードバックとして活用しなければならないなんてしたり顔で言うコンサルとかがいる。はっきり言ってやろう「大きなお世話だ」とね。あなたは「世間体」という得体のしれない怪物の顔色を伺ってビクビクしながら生きていくつもりではないはずだね。そもそもそんなのは実在しないわけだ。あなたのやってみたには意味はない。だけれどもそれが生きるということそのものなんだからそれしかないんだし、むしろそれでいいね。