自然に還る

日々

自然

大自然の中にいると、謙虚になれるのは自我というものがどれほどちっぽけで無力であることに気づくからだね。圧倒的に大きなスケールの風景を目にして勘違いしようにもいつも大きくなりすぎている自我と自信みたいなものが全く歯が立たないね。これだけ格差をまざまざと突きつけられるとどれほど強がってみても悪あがきにもならない。だから必然的に謙虚にならざるを得ないね。地位や名誉や財産をそれなりに築いてきたつもりだったあなたをあざ笑うかのようにそんなちっぽけな自負を吹き飛ばしてくれる。それはある意味痛快だし、その山頂から見える夜景はちっぽけなプライドのためにがむしゃらに働いている明かりの集まりだけれども、そこからみるとキラキラ輝いて美しく見える。

闇夜のカラス

月明かりや星の明るさを改めて感じて息を呑む。漆黒の闇は全く平等に降り注ぐけれども、同じように日もまた平等に昇る。そのパノラマを見つめることで人は謙虚になるのは普段の文明の暮らしの中で多くの自然を忘れているからだね。逆に地方の人がのんびりながらも楽しく暮らしているのは、大自然に対する畏怖とともに生きているからだ。人間関係や仕事関係やなりたい自分になれないとか、ましてややりたいように動けなくなる老いを感じながら、それでもできることを探してやるという知恵を駆使して楽しんでいる。それがまさに生きることを楽しむ唯一の道だとも言えるね。

不夜城

文明の明かりはあなたのやりたいことの幅を大きく広げた。豊かな生活も偉そうにできることも人の自慢できるなにかもすべてそこに詰まっている。おそらくほとんどの人の夢は文明生活の中にあるのだろう。でも何もできない大自然の脅威を目の前にして謙虚になれるとすればたまには訪れるのもいいだろう。だいたい行き詰まったりするのはそもそものバランスが取れなくなってしまう原因がそこにあることが多いと思うよ。もうどうにでもならないと思いつめたり、どうにでもなれと投げやりになったなら、ぜひ大自然を感じる場所へ身を置くと本来の物語をそこに見つけることができるだろう。ま、騙されたと思って自然と触れ合うことをオススメするよ。文明が自然とあなたを切り分けてしまったけれど、本来のあなたは自然の一部でしかないんだからね。