あっちとこっち

日々

境界

真っ白で大きなキャンバスがある。そう認識できるのはそのキャンバスとそうでない場所の境界線が見えるからだね。見渡す限りの海でも向こう側に空との境界線が見えるから海と空の区別がつく。でも目の前にあっても見えていないものはその境界線をみることができない。目を閉じて真っ暗な世界では何も見えないようにね。でも明るいところで目を閉じたとしてもまぶたの向こう側に光のエネルギーを読み取ることができるのは、やっぱりエネルギーがあるところの無いところの境界線が読み取れるから文字通り区別がついて認識できるね。その境界線を取り除くと何も認識できないあなたしか残らないというわけだ。

途中

ずっと流れている動画の中で、スナップショットのように切り出した写真をもとに良いとか悪いとか評論しているのが日常の出来事と呼ばれるものだね。そうやってあれこれと思索している裏でも人生という動画は再生中のままだ。まるで試合中継を解説しているアナウンサーのようにいちいち名シーンを切り出して、吟味しているかのようにね。そうやって喜んだり悲しんだりしているうちにも試合内容は刻々と変わっているわけだ。それで気がついたら試合終了で勝っていたとかでまた驚いたりしているのが日常のあなただね。あなたはあなたの出来事とそうでない出来事の境界線をしっかりと見極めて多くの人が同時に動いている動画の中からそれらを切り出すのがとても得意だ。

結果

うまく行かないときに慌ててなにか対策や言い訳を考えたりする。けれどもそれらは多くの場合全く上手く行かない。だからなんとかしなければと焦ってさらにもがいてみたりするけれども、事態は改善するどころかますますひどくなっていく。その一連の流れを思い通りにならない人生の苦しみというくくりで認識しているんだろうけれど、それらはすべて途中経過に過ぎないね。どうなるかわからないからこそワクワクするわけであり、どうせダメだろうと思うとそのとおりに苦しみに変わる。でもそれを叶えているのはあなたのその焦りが原因だね。なぜ焦るのかというと思い通りにならないからだし、そこから怒りを感じるとしたらあなたは完全に間違っていないという前提条件があるからだね。間違っているとか間違っていないという次元を超えて流れ全体を俯瞰できなければ境界線が見えないからやっぱり慌ててしまうわけだよ。人生は境界線探しみたいなもので、その真ん中には実は何もないというからくりを見破ろう。それだけで境界線をどう引くかを楽しむことができるからね。