過ぎたるは猶及ばざるが如し

日々

ほどほど

若い頃に比べてだんだん歳を重ねるとほどほどというものさしが備わってくる。若い頃はそれこそありったけや目一杯というものさししかないので、いわば貪欲に何でも吸収しようと活動していることが多いね。ところがだんだん歳を取るとほどほどが一番心地よいという新たな領域を知ることになる。ほどほどとは、お腹いっぱいではないけれども八分目ぐらいですこしまだ余裕がある状態のことを表す。せっかくの機会で目の前にもっとたくさんのそれがあっても、自分の胃袋をいっぱいにしないでその場を立ち去るなんて欲がないというか素直に言えば「損している」と感じるのが一般的なのかな。譲り合えば行き渡り、奪い合えば不足する、なんてよく言われるけれどもまさにそうで、何かが足りなくなるというのは極端に買い占めたりする人がいて、それを見て皆が同じ行動をすることによって起こることが多い。残念ながら現代社会でも度々そういうことが起こっている。

足りない

いつも渇望しているのはお金かな。たくさんあればあるほど幸せになれるおまじないのように思っているからこそ、奪い合いが常だね。だからいつも足りない。ここまであれば十分という線引はもはやできなくてあればあるだけ欲しいと思っている。資本主義のこの世ではお金の仕組みや性質をしっかり学ぶことが大切だとわかっていながら、学校の先生はそこから少し離れた場所で生活しているがゆえに子どもたちにそれを教えられない。残業がわるいとか低賃金で長時間労働が搾取構造だと知りながらも自らがその状況に身を置きながらそれらを否定したところで説得力みたいなものは見えないね。教育は極端にそういう奉仕の側面とサービスの側面とに別れてしまって、そのバランスを見失っている。現代での理想の教育はあるにはあるけれども、そこに通うためのお金は安くはないわけでやっぱりお金がたくさんあればと思って終わるわけだ。

長寿

そうやって生きてきたわけだけれども、現状では少子高齢化が進んでしまった。現代の社会の礎を築いてきた後期高齢者たちの福利厚生がメインであるから、子どもたちに対する投資費用よりも高齢者の医療費に財源を大きく取ることが多くなってきた。もちろん修正を重ねては来たものの基本路線はまだまだ変わらない。医療と行政はとても大きな利権となってもはやブクブクに膨れ上がってしまっている。特にそれが良いとか悪いとかではなく、それで生活している人たちが多くなってきたということだね。病気というものを克服して皆が長生きするように努力してきたわけだけれども、そのおかげもあってかどんどん長生きできる世の中になってきた。その与えられた寿命を次の世代に活かすためにどう生きるかをこれからの高齢者には突きつけられる時代になってきたのかな。おちおち死んでもいられないなんてね。