全部ウソさ

日々

苦労

物語は起承転結があって、中でも中盤や終盤でも淀みなく事が運ぶとつまらない。だからいろいろ思わぬ出来事がまさに仕込まれたかのように起こり、それに対してあえて大きなリアクションであなたは頭を抱えている。なんてクソな人生なんだとね。でもそれは本当にそう思ってしまうとよろしくない。大げさに演じているぐらいでちょうどいい。だってまさにそのセリフが言いたくてこの世の舞台に立ったのだからね。クソみたいな人生、つまらない人生と言いながらも実はすべてに感謝して素晴らしいフィナーレを迎えるためのすべては伏線なのだから。だから実はもうそれに向けてワクワクがとまらないってわけだ。

空っぽ

すべてはやらせで仕込まれた物語なので、全くもってフィクションであってそれが証拠にあなたは死なない。死ぬほどすごい体験をするし、死ぬほどつらい思いをしたり、死ぬほど嬉しいことがあったとしてもそれを味わえるようにあなたは死なない。どっきりテレビではないけれどよくよく考えてみればおかしな話だと思わないかな。もう死んだほうがましだと何回も思ったとしても、それが思えるためにはあなたは死んでいないという条件が必須だ。ということは、死にそうになればなるほど生きていることが必須だという、なんだかよくわからない状況に気がついたらずっとなっている。それがはっきりといつからかなんて言うのも明確に言えるわけもない。だってそれは起こっているようで起こっていないんだからね。

夢物語

結局あなたは、ありそうでない夢物語を今楽しんでいる。つまらないといいながらも今度こそはうまくいきますようにと心の底では願っていたり、クソつまらないと思いながらもこれはこれで語る価値がある物語かもしれないと思い、嬉しいことがあるとこれだから人生は捨てたもんじゃないと感じている。でもそれらは全部ありそうでない夢物語だね。お金が足りなくて苦労したり、好きなことができなくて辛かったり、大切な人に誤解されて別れたりと数え切れないほどの泣きそうな思いを叶えている。つらすぎて早く終わりたいと思うほどあなたのドラマは迫真の演技で進行していく。あなたはすっかりその演技にはまってまるで当事者のように感情移入しているけれど、実はあなたはそのドラマの主人公ではない。若かりし頃はなんでもあなたの思い通りになると勘違いしていたぐらいのめり込んでいるだけで、たぶんそれなりに年を重ねて何一つそうなっていないことに気がついているはずだね。