いいねの数
委ねられた幸せ
世間一般というよくわからないものがある。それは一億総中流意識とか、常識とか普通とかそんな言葉に言い換えられる。もっと卑近な範囲だと「みんながそうしている」と子どもたちがよく使う言葉だね。動物のように群れをなし、おとなりさんと同じかそれ以上を知らないうちに目指している。そしてそれが幸せかどうかさえ今ではインスタに投稿してみていいねの数で測っている。受験、就職、結婚、出産、旅行、グルメすべてがそれ用に作り変えられ彩られる世界に生きている。だれもいいねをしてくれないことは悲惨なことで不幸せだと本気で思っている。そんなものはここ最近に突如流行りだしただけのことなのに、交通事故と同じようにそれで命さえ奪われることがある。幸せかどうかなんていいねの数ではなくあなたが決めたら良いことなのに。
便利な生活
文明化した都市で暮らす多くの人はその理由を便利だからと答えるだろう。昼夜問わず明るいお店がいつも側にあり、欲しい物はすぐに手に入れられる。そんな明かりの一つ一つを山の上から眺めるときれいな夜景となってデートスポットとして有名になる。逆に漆黒の闇を見たとしてもロマンチックな気持ちにはなれず、素敵な恋愛も起こらないと信じている。SNSで見たおしゃれなレストランでこぞって食事をするというよりも、誰かがやっていたように写真を撮ることを「映える」と呼んでありがたがっている。都会には少し背伸びすれば人の真似が簡単にできるように配置されている。部屋のエアコンや電気をつけるのでさえたった数メートル歩いてスイッチを押すのが面倒で、すべてはスマホひとつで制御するなり、AIの音声解析機能でわざわざ話しかけたりしている。それがあなたの言う「便利」な生活だね。
文明化
そうやって人類は進化の歩みを止めない。しかもそれが良いことで幸せなことだと信じてやまない。医療技術が発達し衛生環境が改善し都市化によって体力の有無によってやりたいことが限られてしまうことも少なくなった。それによって多くの人が長生きをし、病気をしても回復し、たとえハンディキャップがあったとしても遜色ない生活が可能になった。それが幸せの形として定着している。一方で必ずしも受験を突破して大学に行く選択肢が有利でもなくなりつつあり、仕事をするのに大企業に就職できることが良いことでもなくなり、すぐさま素敵な人と結婚することが幸せでもなくなり、お金持ちになって誰も行ったことがないところで映える写真を自慢することが充実した日々でもない。幸せとはそういう外側にあるものではなくあなたの中にあるはずのものだから、そもそもいつからそうやって比べたり測ったりするようになったのだろう。あなたがやがて死んでしまえばあなたが羨むそれらもあなたとともにすべてなくなるというのにね。