憧れの人

日々

代理

かっこいいバイクですね、と言われて喜んでいる。けれどそれは決してそれに乗るあなたを褒めているわけではない。だからライダーそのものがかっこいいと言っているわけではないのに、たいてい自意識過剰なのでそう言われるとなぜか喜んでいたりする。いいバッグですね、とかいいジャケットですね、とかも一緒だね。褒められて怒る必要はないけれど、そう言われてまんざらでもにないあなたがそこにいるのはなんだろうね。逆にダサい靴ですね、とか言われたら何だこの野郎と憤るのも同じおかしな話だと気づくかな。靴が好みではないと言われるだけであなたはすべて自分自身のことのように捉える。そして我が靴のための代理戦争のようなことを誰にも頼まれてはいないのに率先してやる。これが大きくなったら戦争となるわけだ。あなた自身の問題ではまったくないのにも関わらず、国家という幻のために命を捧げて戦うのがあなたを含めた人類特有の癖みたいなものだね。

憧れ

素敵な生きざまですね、と言われたらどうだろうか。あなたそのものが人生であればそれはあなたに向けられた言葉と受け取るかな。いえいえそんなことありません、なんて遠慮したりするだろう。もっと上には上がいて、そう褒められたあなたにも、さらに素敵な人生を送っていると思っている別の先輩がいたりする。それでさらにあなたに憧れていて、あなたのように素敵な人生を送りたいのだけれど、どうしたらそうなれますか、なんて聞かれてあなたはどう答えるだろうか。おそらくどうもこうもないからいいアドバイスをしてあげたいけれど、あなたからしたら気がついたらこうなっていたから何も答えられないね。でも気の利いたなにかをそこで探すだろうから、あなたの座右の銘なんかをひねり出すしかない。ま、そんなものは何の参考にもならないことはあなたが一番よく知っているはずなんだけどね。

路傍の花

ずっと前からそこで咲いている足元の名もなき花が咲いている。あなたはその横を十数年歩いている。それを見て、あ、月見草、と愛でる人もいれば、単なる風景の一部としてまるで見てない人もいる。要するに憧れたり素敵だと見てくれるからそうなるのであって、そう見ない人の方が多かったりする。それだから、あなたが急に声かけられて戸惑ったのはそういうこと。ずっとあなたはそこにいたけれど、ようやくそれに気がついて言葉にしてくれたわけだ。さらにどうしたらあなたのようになれますかと聞かれたら、あなたが素敵だなと見てくれたように自分も素敵だなとみればそうなるわけだね。自分が一番いい人生を歩んでいると気がつくだけで、あっという間に素敵になれるわけだね。そう見ればそうなる、ただそれだけのことなんだよ。