道の途中
手段と目的
登山は好きかな。少し前は山ガールとかマスメディアが喧伝していたけれど、今も昔も登山者やハイカーは安定した趣味の一つだね。長く山を登っているとわかることがある。それは登山は頂上が目的地だと思われがちだけれど、実は頂上は経由地であって目的地は登山を終えて下山して戻ってくる地点だね。家に帰るまでが遠足だとよく言われるけれども、登山も同じことが言えるだろう。急勾配に苦労したり、ようやく頂きからのパノラマビューに出会えたと思ったらすぐにガスってなにも見えなくなったり、少し休憩してから下山したらその稜線から忘れがたい幻想的な景色に感動したりとか、そういう冒険の書を家に帰ってあなたは語っている。そこがゴールだね。そうでないとせっかくの素晴らしい体験がいい思い出としてのストーリーにならない。なぜそこまでして山に登るのかと尋ねられたら、そこに山があるからだよ、と答えるのは、山が目的地ではなく経由地であるが故のことだからだね。
ゴール
山頂がゴールだと、そこで登山は終わってしまう。そういう勘違いをしてしまうと下山の過酷さを忘れてしまう。普段目的地やゴールがなんであって、そこから逆算して段取りを組んでいるけれども、その目的地やゴールを見間違うと計画そのものが怪しくなってしまうね。よく目的と手段が入れ替わってしまうなんて指摘されるのも、登山ならば山頂が終着点だと間違えてしまっているから、そこから下山する目的を見失ってしまうからそうなるわけだ。受験や結婚や就職なんかもそうだね。それらは目的地やゴールではなくすべては経由地の一つに過ぎないのは冷静に考えれば気づくはずだ。目的地の設定がおかしいからこそ、苦労して目標の学校に入学できた時点で燃え尽きたり、素敵な人と結婚できたから絶対に幸せになれる、なんて不可解なことが意外と多く起こっているね。そもそも目的と手段を見失う以前に目的の設定がおかしなことになっているからそうなるわけだよ。
最終地点
どのスケールでみるかで変わるけれども、時間軸を短くすれば一旦の経由地を目的地としてもいいね。例えば1ヶ月後に逆上がりができるようになる、なんていうのはそれ自体は間違ってはいない。山登りも一旦山頂を目的地として設定すること自体は全く問題がない。ただし山頂で休憩している間に次の目的地をしっかりと再設定する必要があるだけだね。いつも経由地を細かいゴールだと思って頑張れるならそれがいい。ただし燃え尽きたりすると話は厄介だから、頑張りすぎないことと適度に休憩して回復できるようにペース配分することは大切だね。もしあなたが追い詰められているならば、一旦の仮の目的地そのものを変更するか、そこへの到着時刻を調整すればいい。そして何よりも大切なのは大きなスケールでみたときはすべてが経由地でしかないということ。だから少し休んだり、ルート変更することで体力を回復することも必ず計画に加えておくといいね。