エデュケーション

日々

任せる

能力を最大限に引き出し伸ばしたいのなら、信じて任せるしか方法はない。しかし世間では全くの逆をやりがちで、手取り足取り懇切丁寧に教え続けている。教えられる側もそれが「サービス」として当たり前に感じてしまってそれで成果が出ない場合は、どちらかというと教わる側に問題があるとは思えず、教える側の問題だと主張するようになる。まるでマッサージのような心地よいサービスを受ける側のように、できるだけ人気のある人からそれを受けたいと思っている。もちろん教え方には一定の技量があることは否めない。しかしながらそれはあくまで補助的なものであってメインではないね。先にも言ったように信じて任せられているからこそ、自ら関心を持って取り組むことがメインであって、教え方なんかはそのきっかけとしての後押しに過ぎない。それが証拠に教え方がうまいからといって全体の能力の総和が上昇した例はない。しかしながらそれがきっかけで自ら探求の旅へ出立した人は増えているだろう。すなわち個々の能力が最大限に引き出せるのはそれしかないわけだ。

庭仕事から学ぶ

野菜や果物なんかを裏庭で育てることも同じだね。世の中はすべてがフラクタルにできている。芽や苗から丁寧に育てるまえに必ずやることは、それらが育つ土壌を改良することだね。つまり作物の環境をまずは整えるわけだ。土の質を改良したり、腐葉土や石灰など時間をかけてまずは育てる作物に適した土を作る。環境構築という部分においては人を育てるにもそれのプライオリティが高いということ意味している。より楽しんで取り組むことができる環境であったり、失敗を恐れずに挑戦できる雰囲気であったり、何度でも学び直すことが容易にできる体制なんかがそれにあたるね。そうしてからようやく芽や苗を植えるわけだ。人であれば迎え入れるわけだね。その後にあなたにできることはほんの少ししかない。まさか早く大きく育てるために芽や苗を手で引っ張ったりするわけにはいかないように、同じことが教える側にも言えるね。それなのに平気で、無理に演習させたり、意味なく繰り返し練習させたり、丸暗記させたり詰め込んだり色々いまだに明らかに誤った方法をとっている。それが誤りだと断言できるのは、同じ生き物を育てるにあたってそんなことをするのは人だけだからだね。それが如何に馬鹿げているかに気づいている人はおそらくそれほど多くないから、軍隊方式で少し厳しいぐらいがちょうどいいとか思っていたりするね。

伝承

とはいえ、人はとかく人生や生きざまに力点を置きすぎるきらいがある。だからそれほど気にすることもなく好きなようにやればいい。しかしそれが苦痛で仕方がないのに無理に我慢する時代でもないね。実はほんの50年前では思いもつかなかった選択肢が今は潤沢に用意されている。にも関わらず相変わらず皆と同じようにしないと安心できないのは、実は巧妙にその選択肢があることを見えなくする仕組みが働いているからだね。若い親でさえも少しだけ疑問を持ちつつも、やっぱり定番だと思いこんでいる教育のあり方に引きずられて変えられないようだね。やったことがない、前例がない、変化は危険だと吹き込まれ続けた成果がそこに出ている。教え方の上手さは今はYouTubeでいくらでも見られる。理解に役立ち皆が愛用してきた有名な参考書は未だに教科書として採用されない不自然さが拭えない。おそらくは個々の能力を本当に引き出すととっても困る誰かのために、自ずと旧態依然のままになっているとしか思えないね。驚くべきことにこれらは教育機関のみならずあらゆる組織で無反省に残存している。自然に習えばまずは土壌づくりから真剣に改良しないといけないみたいね。