コロコロ変わることが安定
安定した暮らしを得るためには
安定した暮らしは誰もが望んでいる。できれば荒波に揉まれることもなく、風も穏やかに吹いている広大な草原を楽しみながら過ごす。これこそが安定だと思っているけど、よく考えてみるとそんな状態は一瞬でしかない。
全く意に反してコロコロと状況は変化していく。ああ、また嵐が来るらしい。また面倒な対策をしておかないと。人生はいつ何時なにが起こるかわからない。それが楽しいと言えるといいのだけどね。現実はそうもいかない。今度こそ耐えられないかもしれない。ああ、困ったな。そんなに悪いことしてきたかな。なんで俺ばっかりそんな目にあわなきゃいけないのさ。不公平だな。世の中は。そう毒づきたくなることも多い。
効率性と合理性とわかりやすさ
すでに答えは決まっている。どう検索しても調べても考えても答えは決まっている。それ以上考えようとしても、すでにある答えの中から選ぶだけで、一発逆転の誰もが思いつかなかった解決策なんてそう簡単に見つけられない。っていうか、ほらこれが答えだよ、ここから好きなのを選びなさいって言われている感じがする。なんだこれ。これだけ人類の叡智の塊を調べることが簡単になって便利になった時代でさえ、書いてあることはなんとなくみんな同じ枠組みのものしか見つからない。どういうこと?
不合理の嵐の中に探している答えがある
さらに今は、無駄を省き、効率を求め、わかりやすくいろんな情報が文字ばっかりの読むのが面倒な文章よりも、記号化がどんどん進んでいる。Googleで調べた結果は山のように出てどれがどうなんだかよくわからない。だから一番初めにでてきた情報でいいやと選んでしまう。同じ会社が経営するYoutubeなんかは、なんと丁寧に字幕スーパーやイラストで説明してくれている。おお。素晴らしい。とてもわかりやすい。でもこのわかりやすさってどうなんだろう?みんな同じようなことしか言っていない気がするんだけど。気のせいかな?
安定を求めて便利なものに飛びついても、何にも解決できないのはどうしてだろう。これは自分に能力が足りないからか。簡単そうに見えるんだけれど。調べる方法が間違っているのか。そう思うともっと良い答えがきっとどこかに転がっているはずと血眼になって探し始める。何百本の動画を見ても、結局はなかなかこれっていう最高の答えを決められない。
世の流れ、風向きを読むには
いつもいつも同じことをぐるぐるしてるだけで、時間ばかり過ぎていく。ああ。こんなに便利な世になったのに自分はなにも生かしきれない。そう嘆く前に縛られて押し付けられている前提を見破らなければありきたりでお仕着せの世界からは脱却できない。知らず知らずのうちにある一つの方向に導かれてしまっている。もっと怖いのは安定を求めて正解を求め続けて世の中を見ていると、その背後にある無数の可能性に気づくことができなくなること。だから、安定を求めれば求めるほど不安定になる。風向きはいつもコロコロ変わるのが自然だから。
本当に安定するのには、言ってることもやっていることも変幻自在にしたたかに柔軟に、風に吹かれて揺れる木々のようにコロコロ変わること。一度吹いた風はまた同じように吹くわけじゃない。ということは、本当の答えはGoogleやYoutubeの中にあるわけではなくて、まずは風向きを体で感じて、その変化に対応できること。世間の常識やトレンドやインフルエンサーの言っていることはすべて過去の体験からくる思い出なんだ。
あれ、結局は何を求めて、何を探してたんだろうか。本当の答えはすでに知っていたのかもしれない。