ずっと同じなわけがないのに

日々

同一視

毎日電車に乗って、毎日だいたい同じ道を歩いて同じ場所へ向かっている。同じ顔ぶれの人と電車で出会うけれども、特に声をかけたり話したりはしない。同じ場所を歩いているからすれ違うタイミングこそ多少ずれるけれど、服装が違ってもいつもの人だと認識している。たくさんの人の中からでも、友達や親しい人をあなたは見分けることができる。それ以外はその他大勢として認識において同一化している。だから今朝すれ違ったいつもの人は思い出せるけれども、それ以外の変化があったことは全く思い出せない。それ以外の違いはすべて同一視して処理しているからそうなるわけだね。よく考えてみれば不思議なことであなたに関心がないことや必要のないことはすべてその他大勢として全く違うものであったとしても同一化できる能力をあなたは持っているというわけだ。それでいて、あなたが注目しているものに関しては微妙な変化も逃さないぐらいの観察眼も合わせて持っているね。

自我

この違うものを同じものとして処理できるからこそ、あなたは今日もあなただと思うことができる。実は昨日のあなたと今日のあなたは全く違うはずなんだよ。例えば現代医学では脳の前頭葉あたりの複雑な脳神経のネットワークのダイナミズムが自我を発生させていると説明する。すなわちあなたは脳神経の動的な連鎖によって生じていると説明している。一方で脳神経は生まれてからこの方ずっと死滅して減少していると観察されている。そうすると脳神経のダイナミズムを脳神経がどんどん死滅して減少している中でいつも再構築しているということになる。そうでないとあなたはあなたでなくなるはずだからね。物理的には神経細胞の構造や数が変化しているのにも関わらずあなたはおそらくずっとあなたのままだと思っているはずだ。これをいまだに科学でもってしてもうまく説明できないままだね。

言語

人は言葉を操る唯一の動物だと言われている。言葉があるかないかで人かそれ以外かを判別しているわけだね。言葉を操るための必要な能力とはまさに違うものを同じにみる力だね。よく見れば違うけれどもそれを都合よく捨象することができるから物事をバラバラに分解して整理することができる。だからりんごとかみかんとかバナナとかで共通認識を呼び出すことができるわけだ。りんごにも実はよく見れば同じものなんて一つもないね。種類も色も味だってその繊細な差異を感じとれる五感はかなり発達しているにも関わらず、それらを一旦同一とみなしてざっくり認識する能力を誰もが持っている。そのおかげで事象やモノに名前をつけることができたから言葉が生まれたわけだ。さらにそれらを上手にまとめて具体的な物事を指す言葉から抽象的な概念を指す言葉を生み出した。これはさらに微小な差異を同一視する力以上に、観測不能なイメージを同一化することで言葉を生み出しているわけでかなり驚くべき能力だね。古いアルバムを開くまでもなく、あなたは随分と違う見た目になっているというのに、あなたはそれをあなただと識別することができる。はてさて、その力は一体どこで手に入れたんだろうね。