今どこにいる?
時間
時間は存在しないという最新の物理学の研究がある。普段時間に追われて生きている多くの人にとってはにわかに信じがたいことだね。確かに時間という概念があるからこそ、これまでの日々があっておそらくは明日はようやく休みだと思っている。さらにあなたに与えられた持ち時間はゲームのように限られていて、その制限時間内にどれだけのミッションをクリアするかで人生のレベルアップを文字通り必死にプレイしているわけだ。やがてそのゲームのルールとして、あなたの持ち時間がなくなればその時点でゲームオーバーになる。そしてそれ以降はどうなるかは誰もよくわからない。まさに神のみぞ知るというステージになるのかな、なんてぼんやり考えている。そのぼんやりしているロスタイムももちろん刻々と過ぎてしまって、これではダメだと我に返ったりしているわけだ。
過去
あの頃はこんなだったと思い返すことがある。ジリジリと焼け付くような日差しの夏休みに、川で泥にまみれてザリガニをとっていた。友達とそれをお菓子の缶に入れて自転車の後ろに縛り付けた。それで喜び勇んで帰って缶を開けてみると全部途中でぶちまけたようで、一匹も残っていなかった。そのことであなたは一人またザリガニを取りに行ったね。今度は帰り道はそっと自転車を押して慎重に帰った。今ではすっかり社会の歯車となってスーツのジャケットを手に持ちながら、客先へ向かう途中だ。ふと目をやった先にはかつてあなたがザリガニをとった池とそっくりな光景に出くわしたので、ふと思い出したわけだね。そしてあなたはあの頃は良かったなどと懐かしく思い出している。そんなあなたの想い出はあなたの年表では小学生の時代に記録されているね。あなたの中で時折書き換えられるその年表が唯一のあなたの歴史だし、それ自体があなたがあなただと言う確固たる資料でもある。ところでそれ、実は毎回大幅に書き換わっているとすればあなたはどう思うだろうか。もうなにがなんだかわからなくなるんじゃないかな。でも事実どんどんあやふやになってきているのは感じているね。
未来
時間がないとすれば未来はどう説明できるのか。もし幸せを本当に知らなければあなたは不幸には絶対になれないのと同じで、未来がわからないというのは嘘だね。未来があるから希望や不安という感情のゆらぎがある。それらの前提条件にその先があることは確信しているからそうなるわけだ。おそらく人の知覚は脳で処理されているというのが正しければあなたの今はすべて少し前の過去のことになる。そして脳はそれをあなたが思う前に処理しているから、例えばあなたが歩き出そうと思う一瞬前には脳はすでに歩くための処理を始めている。人の構造としてあなたが今と感じているのはすべてちょっと遅れた過去であり、あなたが今だと思って処理しているつもりのことは、あなたが思う前に脳が勝手に処理を開始したことを遅れてあなたは今だと思いこんでいるだけに過ぎない。ほんの一瞬の未来はあなたが思う前にもうすでに実はあるわけだね。さて、あなたは本当はどこにいるのだろうか。