学びを止めるな
学び
生涯教育なんて小賢しい研究者が言うけれども、要するに学びを止めないということだね。死ぬまで勉強するのが人生だというとちょっと堅苦しく聞こえる。誰もがそう思っているだろうけれども、実際学生時代のことを思い出して宿題やドリルや受験勉強などの丸暗記を学びと勘違いして嫌いになっている人も多いよね。学びとは本来真似ることから来ている言葉だそうで、人のふり見て我がふり直せ、といえば堅苦しさも息苦しさも少しはましになるかもしれない。一生勉強とか言うと嫌いなことを強いられた学生時代がよぎってしまうだろうけれども、そうではなく世の中の出来事を冷静に見つめる視点を持ち続けることが「学び」だとすれば、今でもそうだと言う人は多いだろう。逆に言えば出来事の波に巻き込まれて、他人の感情に飲み込まれて、視点を自ら移動できずにあなたも同じように振り回されて不幸になることをやめようということなんだよ。だから「学び」をやめると他人の出来事がそっくりそのまま自分の人生に影響するわけだから、あなたはまさになすすべもなく、良くない言葉や悪態をついて不幸な人生を送るようになってしまうね。
言霊
人生は言葉で出来ている。だから使う言葉であなたの人生は決まってしまう。だから気をつけたほうがいいね。あいつのせいで、あの出来事のせいで、つまらない上司のせいで、あんな親のせいで、なんて無意識に使っていないかな。すべてはあなたの人生を自ら手放して、すべては事やモノの影響にすべてを委ねているね。なにかのせいにするとあなたはそこにいなくなる。いい意味でいなくなるのならまだ救いはあるものの、あなたという実態がないだけで自我だけはしっかりそこに残っているからこそなにかのせいという言葉が言えるわけだ。出来事やその人をそこから見続けるのをやめて、いやちょっと待てよ、どうしてそう思ってしまうのか、なぜその視点から良い悪いを判断しているのか、それ以外の視点はないのか、という力を身につけるのが「学び」だね。だからそれをやめてしまうとすべてはなにかの「せい」で良い悪いが決まり、あなたという自我がそれを投影するスクリーンになるわけだから、良いことがあればラッキーだけれども、ああ、そんなひどいこともあなたの思いとは関係なく、まさに容赦なく投影されてしまうわけだよ。
判断
ならば、自らの人生なのだから、あなたが舵を切られるようにするにはどうしたらいいか。それは「学ぶ」ことをやめないことに尽きる。いつも感情的になって誰かを罵ったり、叱りつけたり、怒りの感情をぶつけてしまうのは、あなたが「学び」をやめたからそうなる。あなたがあなたの人生を歩いているのならば、良い悪いという視点はあなたがいつでも自由に決めることができる力があるはずだ。そうなると気に入らない出来事を他人の評価に任せることなく、あなたがそれがなぜそうなったのかを多方面から分析する力を身に着けているはずだ。その力はうまく行かないときのこそ発揮されるね。世間一般では悪いことだとあなたが思い込んでいるその呪縛から開放される力を得たことと同じだ。悪いことは悪いことだと思うかもしれないが、それは誰かの判断をなぞっているだけでそこに「学び」はない。自らの頭であなたがそれをどう見るかということが突きつけられているにも関わらず、あなたはそれを「学び」として見ないから、つまらない人生だと知らない誰かに決めつけられたままになるわけだよ。