見かけ倒し

日々

ムダの塊

生きるとは端的に言えば思い出づくり。何の意味もないあなたの人生に彩りを与えてくれるね。毎日着飾ったり、お花を生けたり、片付けてお気に入りの小物を飾ったり、それらの意味はなんだろう。生きるには命を食べて寝ることが必須だけれど、それらは特になくても困らない。困らないからこそあなただけの人生がそこにあるわけだ。だから誰にも会わなくてもお化粧をしたり、どこにも出かけなくてもおしゃれするのがあなたの生きる道なんだから、何をさておいてもやるべきことだよ。それをやめてしまうとまさに生きる意味を見失ってしまう。それらはムダなんかじゃなくてまさにそれらがあなたという自我の中心だね。効率化や合理化という幻想に取り憑かれているひとはそれらをムダと呼ぶけれど、そんなのは気にしないでいい。効率化や合理化という言葉の実態は実はどこにもないし、目の前に表すこともできない。なぜならそれらも概念であって姿かたちはないからね。

頭でっかち

良き人生とか幸せな人生とか何がそれを決めているのだろう。お金持ちになって、良きパートナーに恵まれて、元気に子どもたちが成長していくことが良き人生なんだろうか。果たしてそれは望めば実現可能なことかな。あるいは、もうすでに実現できているという人はその先にはもうなにもないのだろうか。それともさらに幸せの高みがあるのだろうか。そうやって幸せにもレベルがあるとすればどこぐらいが中ぐらいとかメモリはあるのだろうか。そのすべてはどこかに書いてあるのだろうか。まぁここまでひねくれている人はいないだろうけれども、あなたが普段なんとなく良いことだと思って望んでやまないことなんて所詮こんなものだね。ありそうでないというか、なさそうであるというか夢か現実かよくわからないその間で頭の中の幻想が揺れ動いているだけなんだよ。原理的にはお腹が空いているときに食べるものがあってお腹がいっぱいになると幸せを感じるようにできているだけだね。

欲しいもの

あなたが幸せとか充足とか求めているなにかとは、すべてはあなたが安心するなにかに過ぎない。最新のファッションアイテムだったり、流行の服だったり、高性能なスマホを欲しいと思う理由はそのものを手に入れ所有することではなくて、それらからあなたは安心を求めている。そこに流れる物語に触れていたいから欲しいと思うわけだね。だから表層に踊らされてはいけない。お金持ちになりたいのだって、お金の流れを川の流れのように見ているからたくさん流れているところを見たいわけだ。たくさん流れているだけでは安心できないと勘違いしたあなたはそこで流れをせき止めようとするけれども、結局は流れを止めてしまうとそれらはすべて決壊してしまうわけだよ。川を眺めているようにその穏やかな流れにあなたは安心を見ている。お金や商売は欲しいものの流れが見えているかどうかでうまくいくかどうかが決まるのはそういうことだろうね。せき止めようとするからうまくいかないわけだよ。