金は天下の回りもの

日々

欲しい

欲しい物があるのなら、何か一つ手放そう。なんでもかんでも欲しいからと持ち続けていると欲しい物がどんどん手に入りづらくなる。それは簡単な理由で、カバンの中になんでも詰め込んで持ち運べるわけでもなく、何か新しいものを入れたいのならその分何かを出さないと入らない。ならカバンをもっと大きなものに変えるという手段もあるね。それでもいいんだけれど大きなカバンはたくさん入る代わりにとても重くて持ち運べないという欠点がある。ならキャリーバッグのようにちょっと工夫してたくさん持ち運べるようにすればいいね。確かに多くのものが入って便利だし、重さの問題も解決する。けれどその分小回りが効かなくなるね。混雑した人混みをすいすい歩くのに邪魔だし、そもそも平らな道ならスイスイだけど、凸凹道や階段ではその重さがあなたの腕にのしかかるね。カバンを財布に変えても同じ原理なはずなんだけれど、今ではまさか現金で持ち歩く人はいないからいくらでも欲しいという魔力が強くなってしまうわけだね。

身の丈

足りないという気持ちには際限がなく、どこまで欲しがるあなたが生まれる。いつからかあなたの欲望は爆発的に大きくなってしまった。だからとてもじゃないけれどもそれをいっぺんに運ぶことができるカバンはないね。だから自動車やトラックで運ぶしかない。あなたはどこへ行くにもそれに乗って移動することになる。便利だと喜んでいるのもつかの間だね。大きな車になるほど細い路地の取り回しは難儀するし、燃料代や維持費が重くあなたにのしかかる。ずっとそのままでいられないことをすぐにあなたは悟り、その瞬間だけを楽しむぐらいでせいぜい終わってしまうわけだ。そうして元通り裸一貫になったときにあなたは気がつくね。必要だと思っていたそれらはすべて幻だったということをね。それがなければ生きていけないと思い込んでいただけで、よくよく考えてみればそれらがなくても楽しい時間はたくさんあった。あふれるほどの欲望の塊はすべてあなたに取り憑いた亡霊だったというわけだ。

モノより思い出

だからといって、お金に縛られてずっと使わないまま倹約すればいいっていう話ではない。お金を使えること、支払うことができることに感謝しつつ使えばいいね。たまたま払えるという奇跡に気づけば自然とそうなる。欲しいという欲望の質も変わってきて、衝動買いもとことんやれば飽きることに気づくし、その後片付けも大変な思いをする。だから本当に必要なモノだけを買うようになる。もっと正確に表現すれば必要なモノなんてほんの僅かしかないから、本当はいらないモノでもそれを手にすることでその奥の物語を体験するために買うわけだね。ほとんどの欲しくなるモノはそれを手にした後のシナリオを求めている。人生という舞台の次のセリフがそこに書かれているわけだね。お金はそのためにあると知ると、それほどお金に困らなくもなるみたいよ。入ってきたらその分出ていくわけだからね。その循環を止めると大変なことになるみたいだけれども、残念ながらその体験はしたことがないからわからない。