わたしの範囲

日々

あなたとわたし

わたしには意識がある。だからプライドもあるし、謙虚さもある。どんな言葉を言われても動じないように日々頑張っているけれど、本当は心の奥底で動揺している。やっぱり嫌いな言葉には反応しないと思っていてもどこか反応して気分や体調が悪くなる。嬉しい言葉は素直に身体も反応して体調も良くなって気分も上がる。そんな毎日を過ごしているんだけれど、あなたもそんな感じなのかな。あなたはどんな風にあなたの中のあなたと向かい合っているのかな。だいたいわたしとあなたは同じ血の通った人間だから、それほど大きく変わらないと勝手に思っているけれども、実はそうでもないのかな。それってどうやったら見られるかな。

わたしがわたしと思ったときを、物心ついたときと言ったりする。おそらくは赤ちゃんで生まれ落ちたわたしは、その時の記憶がはっきりしないか全く覚えていないね。わたしがわたしだと認識し始めた直接的な記憶もない。あるとすれば一番かすかな思い出の記憶をその拠り所にするしかないね。2歳なのか3歳ごろの何かしらの思い出の断片がわたしの始まり。それは縁側で誰かに抱きかかえられていた感触の記憶の断片だったり、初めて猫を見て、鼻の横から生えているヒゲに興味をもって見ていたシーンの一部かもしれない。とにかくわたしがわたしを理解し始めたときからわたしの人生はスタートしているね。やがてわたしがわたしを支配していくにつれ、わたしの意のままにならない現実と対峙することになっていくわけだ。そうして、わたしはわたしが一番大切にされたいという感情に包まれていくわけだね。

境界線

あなたとわたしは違う存在だと思っている。でもその境界線をどこで引くのかは曖昧なまま。自意識がそれを決めているとすれば、そもそもの自意識はわたしがわたしを見出したときからしかない。わたしの範囲をよく観察してみると結構曖昧な境界でしかないね。いやいや、わかりやすい方法としては、自らの身体を叩いて見ればそれを感じることができる範囲がわたしと判断することができるという。確かにそれはいい方法だと思うけれど、時折わたしの大切な人の心の痛みさえわたしが感じていることもあるね。体の痛みはたしかにそうだけれども心の痛みはどうしてわたしの範囲を超えるのだろう。さらにいえばその心の痛みから体調不良や病気にまでつながるね。でも、わたしの範囲は、わたしが知らないところまでには及ばないみたい。ところであなたはそれについてどう思うのかな。言っていることがよくわからないなら、あなたはわたしじゃないってことかな。でも実はわたしも、わたしのことよくわからないんだよね。