好き嫌いしちゃダメ?

日々

あっという間

夢中になって過ごした時間はあっという間に過ぎる。逆になんにもしないで過ごす時間は退屈でとても長く感じる。学校のつまらない授業なんてそうだね。すぐに時計をみてその歩みの遅さにがっかりする。がっかりするのなら見なければいいのに、そういうときに限ってすぐに何度も見てしまう。もうあなたはその時計の針先に乗って全力で動かしたい気持ちになる。それぐらい1分の歩みが遅くてたまらないわけだ。ところが、ちょっとだけ好きなSNSをやろうとスマホを取り出しただけなのに、ほんの少しだけ見ただけなのに、驚くほど時間が経ってしまっている。え、もうそんな時間?なんて絶望に近い感覚で渋々途中でやめているね。この調子では時間がどれだけあっても足りないと焦って、他のやるべきことが恐ろしく無駄に思えておろそかになったりする。ああ、1日24時間以上あればいいのに、なんて嘆きさえもする。

なんでもない

そうやって、同じあなたの生きる今という時間を、楽しい時間と辛い時間にどんどん分けてしまう。そうすることで辛い時間はどんどん辛くなり、楽しい時間もなぜかどんどん短くなるというわけだ。ということは、楽しい時間をどんどん増やして豊かな人生を送りたいと思っているのにも関わらず、その楽しい時間という区別の結果、楽しい時間はあっという間でとても短く、それ以外の辛い時間がどんどん長く感じる始末だ。だから本来は充実した人生を求めるのならば、楽しい時間と辛い時間の区別を曖昧にしてできればふわっとなんでもないけれど少し楽しい時間を増やすといいってわけだ。世の中なんでもメリハリが大切だなんて吹聴しているけれどもそれは嘘だから気をつけよう。白黒はっきりさせるほうが全体的な幸せはどんどん少なくなってしまうというからくりだね。なんでもない時間をなんでもないと思いつつ過ごすことが幸福の最大化なんだよ。

好き嫌い

好きの反対は嫌いではない。よく言われることだけれども好きという状態を意味するならば好きでもないという状態がその対義語となる。だから無関心とよく言われる。関心がないことはたとえ目の前にあったところであなたは全くそれにきづかない。逆にそれがとっても大好きな人から見ればあなたはとても謙虚な人に見え、もったいないと思われている。そして嫌いなことというのは、関心を持たざるを得ない。なぜなら何かをきっかけにとってもそれが忌々しいことだと避けるべきリストに入ってしまったからだ。だからその忌々しい存在があなたの身近にあるとなると、警戒しなければならない。だから必然的に嫌いなものには好きなものと同様に敏感にならざるを得ない。いわば天敵のようなもので無意識であっても常にセンサーが見張っているわけだ。辛い時間はそういうセンサーがフル回転しているからこそ辛く長い。嫌いをやめて無関心に変えることができればなんてことのない時間を増やすことができる。つまり好き嫌いをなくすという王道が一番幸せになれるってわけだよ。でもそれでは刺激が少ない人生となるわけだから、あえて好き嫌いのコントラストをつけることで多少幸せを削ってでもあなたはスリルを求めている。そのために生まれてきたんだからね。でもまぁ何事もほどほどがちょうどいいから気をつけよう。