払える喜び
お金持ち
今どきはお金持ちになりたいという子どもが多い。特に欲しいものはゲームだったりスマホだったりする。それさえあれば自由になれるからね。そして好きなことをずっとしていたいと願う。大人もまたできればお金がたくさんある方がいいと言う。何をやるにもお金がかかることばかりだからだね。家賃や食費、光熱費から始まって、家族で旅行にもでかけたいし、そのためのちょっとおしゃれな服も欲しいし、古くなった靴も新調したいね。そのためにどれだけかかるかを計算するといつもあなたは夢のまた夢と心の奥底にしまいこんでいる。今はまだその時期じゃないけれど、きっといつかうまくいったらその夢を叶える日が来るまでそっとしておこうとね。いずれにせよ、なぜか今はお金がないとなにもかも始まらない社会になっている。でもそのお金とやらは記号であり印であってお金そのものには薄っぺらな紙であったり金属でしかない。今どきは現金を触る機会も少なくなって、あなたのスマホの中に記録されたデジタルデータでしかないね。
夢と希望
少し前のいわゆる成金と呼ばれる人たちは、社会的アイデンティティーとして金ピカの貴金属で身を飾ったり、日本銀行券という札束に埋もれてみたり、高級そうな外車や大きなお家がよく使われていたね。富の象徴が豪邸や貴金属や高級品や見たことのない量の札束だったからだ。だから夢と希望が同じことをすることにすり替わったわけだね。いつかはあなたも豪邸で高級ブランド品を身にまとい、地下のガレージにはスポーツカーがある生活を送ることが目的となり、そうなることが夢になる。お金はもっと違ういろいろな目的で使えるというのにね。そういうのが成功者とか人生の勝ち組と刷り込まれたおかげで、それが出来ないならゴミ同然だと思いこむ癖がついている。本来の夢や希望はどんな人も自由に持てるはずなのに、そうやって選択肢を狭められてしまっていることに気づかなくなっている。
逆転
そうやって目的と手段がひっくり返ることはよくある話だね。お金は何か目的を達成するための手段であって、達成すれば必要がないものだ。けれどもその目的はもしかしたらこれからたくさんになるかもしれないから、とりあえずその交換券としてのお金を手元にできるだけたくさん持っておこうとしてしまう。結果としてお金が貯まる頃には、何かを目的とすることも少なくなり引換券をこの世に残して去っていくわけだ。今そうやって相続もなくタンス預金や貴金属や不動産が続々と放棄されているね。そこに夢や希望を叶える手段があったにもかかわらず時間切れになってしまったわけだ。事業での利益も本来はそれに関わった生産者や一緒に働く仲間のために分配するためにもらうものであって、独り占めするものではない。だからといってお金が不要と言っているわけではなく、大切にすればいい。ただそれはいずれあなたの手元を離れてあなたの夢を叶えるときまでの短い期間の話だ。支払いができる幸せに気づくと自然とそうなるね。できるだけ払いたくないという心理はどこから来ているのか。そこにとことん向き合うといいかもしれないね。