逃げろ
逃避
とにかく嫌なことがあれば逃げるのが王道だ。それは自然の動物を見ればわかる。しかしたまに立ち向かって戦っているものもいる。どちらが正解とかじゃないね。基本は生き残るために逃げたり、さけたり、よけたりするプログラムになっているけれども、それができないケースにおいては最終手段として立ち向かうという選択肢が用意されている生物もいるようだね。いつも戦闘モードで戦うことが好きな人も中にはいるようで、逃げるのは恥だとか卑怯者とか売国奴なんて呪いの言葉を投げつけたりするけれども、そんなものはすべて受取拒否してしまえばいい。プログラムとして逃げるというのが通常モードであって、戦うのは緊急避難モードなだけで、それ以上でもそれ以下でもない。そのモードの違いであーだこーだ、こっちが正しいとか間違っているとか議論を始めたところで不毛だね。まるで電子レンジの600wか800wかどっちで冷凍餃子を温めるべきかを言い争っているようなものだ。
対峙
ところが、それと似たようなことでよくまぜこぜにされるのが、それらにきちんと向かい合うという姿勢だね。現状をきちんと観察した上で見極めるというやつだ。そもそも逃げる以前にちゃんと状況を把握していないモードもある。これは逃げるか戦うかと混同してはいけないね。まずは自らがどうするかをきちんとあなたはあなたの心に真っ直ぐに問いかけられないと、嘘、大げさ、ごまかしだらけの言動を常にしてしまって、もはや今更どうしようもない状況になる。墓穴を掘るなんて言葉があるように、あなたがあなたを追い込んでしまっている状態だね。それをリセットするにはまずはちっぽけなプライドを捨てて醜態を晒すことだね。そのみっともない姿を見てもらうことで実はあなたが思ってもいないことが起こる。つまりあなたを支援したり応援したりする人が増えるということだ。こんな恥ずかしいみっともない状況なのにと思うかもしれないけれどそれは勘違いだったわけだ。それこそが尊敬できる姿勢そのものなんだよ。逃げるが恥と思うけれども、向かい合う勇気も力もなくみっとなく失敗するのを恐れているあなたは、そのことにまだ気づいていないだけだね。
感動
心を揺り動かすには、真摯に対峙して思いっきり逃げて転ぶことだ。ちょっと何を言っているのかわからないかもしれない。でもそういう人ほどあなたが思っているほどかっこよくはない。目の前の苦手に思っている課題に対して、とっても嫌で今すぐ逃げ出したいと思って避けようとするも、結局は避けきれずに泣きながらやってみたら少しできるようになったけれどもまだまだで焦っている。あなたはそんな人見て嘲り笑えるような悪魔の心を持っているかな。笑い話としては面白いと思えるかもしれない。けれど実際にその姿を目の当たりにしたときは感動して言葉を失うはずだよ。戦争の業火に焼かれてのたうち回ってなんとか生き延びようと逃げ回っているような人をそう思えるならあなたは悪魔そのものだ。多くの人はそんな心は持ち合わせていない。戦えとか逃げろとかモードについて軽々しく発言する人気取りの政治家がいるのはそれほど不思議なことではない。けれど実際にはどのモードになるかはそうなってみないと決まらない。だからあれこれと議論することができるのは、各モードにスイッチが入っていないということ。だから今の状態を大事にしたいね。