望み叶わず
ひっくり返す
のぞみがあるということは、それがまだ不足しているという前提がそこにある。もっと幸せになりたいというのぞみは、今はまだ幸せが十分でないと信じているから生まれる。もっとお金持ちになりたいというのぞみは、今はお金がまったく足りていないという状態だということだ。もうこれで十分だと思うことがいつの間にか悪いことだと刷り込まれてきた。満足してはいけない、もっと先へ、もっと進化をと叱咤激励され続けてきたね。テストの点数は60点もあれば十分なのに、80点でないと認めないと脅された。それでがむしゃらになって80点になったら、今度はやればできる子とかいう悪魔の言葉で満点を目指せと要求されるようになる。仕事でもそうだね。1時間あたりの生産効率を20%も改善できたと喜んでいたら、いやいやライバルに追いつかれる前にさらに10%改善を目指せと指示されてしまう。やればやるほどやればできると脅され続けてしまうから、最初からなんにもしないのが一番マイペースに人生を楽しめたりするからこの世はとてもおもしろいものだ。
昨日より今日
そうやって日々進歩前進するための努力を怠らないことが成功への大切なポイントだと言われ、あなたもそのとおりやろうとなんとかもがいてきた。けれどなかなかそう簡単にはうまくいかないね。それはあなたの努力が足りないとまた十分でないということを植え付けられてしまう。どんなことにせよ足りない、足りない、もっと、もっとという呪いの言葉で巷は溢れかえっている。それにうんざりしながらも、やっぱりそうあるべきだと思っているからこそ、のぞみを叶えようとしている。まずはその状況をしっかりと把握しておこう。すべてが十分でない世界であなたはこれまでも、そしてこれからも過ごすことになる。果たして本当にそうなんだろうか。という視点を持てるかどうかが運命の分かれ道かもしれない。日進月歩、世の中はすべて進化し続け、もちろん人類の叡智も進化し続ける。それに置いてけぼりをくらわないようにあなたは死ぬまで走り続けなければならない。「諦めたらそこで試合終了だ」なんてとても流行った言葉があるようにね。
架空
皮肉なことにお金持ちはお金持ちになりたいとは思わないし、毎日が幸せで仕方がない人はそれ以上幸せを求めない。だからこそお金持ちはいつまでもお金持ちだし、幸せな人はいつも笑顔で過ごしている。一体これはどういうことだろう。彼らにのぞみを聞けば、とくにないと言うだろう。なにかと比べることで不足をわざわざでっち上げているけれども、偏差値や平均点で相対的な優劣はつけられても、絶対的な人それぞれの何かを測れるわけではない。もしそんなものさしがあるのであれば、逆にお金がない人や不幸な人をあぶり出して救出することが簡単にできるはずだ。ところが実際はそんなパラメータをいろいろ抽出して計算しても、そこから何も導き出せない。ということは逆に言えば恣意的な仮説はいくらでも作ることができる。桃太郎のような昔話をいくらでも語ることはできるけれども、あなたも知っての通り桃太郎はどこにも実在しない人物だね。そう、桃太郎は他の誰でもないあなたを表しているというオチなんだよ。