何の意味もない

日々

能力レベル

ずっと生きていると、あなたにとって向き不向きみたいなものが固定化していくね。意外とコツコツやるのが好きな方だとか、アイデアを書き留めるのが得意だったりとかいろいろ見えてくる。そこであなたにとって得意なことをどんどんきわめていけばいいのだけれども、なぜか不得意なところをなんとかしようとする。そりゃ不得意なことなんだからかなり努力してもなかなか納得できるレベルまでは引き上げられない。それに不得意だからこそそこへ向き合うエネルギーはとても莫大になる。でも効率から考えれば好きで得意なことをやる方が気が楽だね。もし人生で使えるエネルギーの総量が決まっているとするならば、できるだけあなたが得意で心地いいことに使うべきだろう。なら不得意なことをなんとかしようとするのはどこからきているのかというと、産業革命以降の工場労働者を育成するための教育機関のせいだ。まんべんなくできる人は優秀なのはそう考えると分かりやすいね。心身ともに健康で、適度に運動もこなし、整列のための行進もできるし、決められた時刻に準備して集まることができる。さらにそういった指示を的確に理解し、その通りに実行する力があり、単調な繰り返し作業を指示されたとしても不平不満や勝手な判断を入れずに忠実に実行することができる。これらは何のために必要な能力なのかと考えてみればすぐに気がつくだろう。学校では優等生、親からはいい子と呼ばれる人たちだ。

がむしゃら

好きこそものの上手なれ、なんていうね。たとえ最初はうまくいかないとしても好きだとあきらめずに何度も繰り返しチャレンジできる。そうやって知らず知らずのうちに反復練習することが全く苦ではないからそのうちある程度上手になっていく。それを苦手としている人たちと何が違うのかというと、心のハードルの高さが全く違うね。才能があるかどうかを先に考えるより前に、そんなことよりやってみたいという好奇心が勝っているわけだね。だからうまくいくとかいかないとか全く気にせずどんどん繰り返し挑戦することになる。どんどん繰り返すことがとても楽しいから人よりもたくさん失敗を重ねることができる。それも本人は失敗したなんていうくよくよした気持ちなどみじんにも感じない。だから傍からみているとがむしゃらに挑戦しているように見える。本人からすれば楽しくてたまらないからやっているだけなんだけれどね。

苦悩

英語が話せるようになりたいからと、英会話スクールに通い始めた。ところが最初は頑張って通うものの最近はスクールの日になるとなんだか少し憂鬱になる。始めたきっかけは海外の人たちと談笑しているあなたがそこにいたのに、母国でもコミュ障で気軽に誰それと会話していないのに外人とはうまくいくなんて、どうしてそういう思い違いをしたんだと、そんなところが心に引っかかっている。そもそも話したい共通の話題も思いつかないとなるとますます英語が話せたところで何か変わるのかという疑心暗鬼に陥っている。だから、スクールに通いたいと思ったときの熱量からかなり冷めてしまっている。そういうことを気にせずにどんどん楽しめる人が実は上手になっていくわけで、計算した計画と目的なんかで体得できるのであればあなたはすでに優秀な工場労働者になっているはずだね。小賢しいキャリア計算でのスキルよりも、そんなことして何になるということをどんどんやる方が結果的には素敵になれるのは、そういう仕組みを看破した人たちだね。だから意味があるなし関係のない好きなことをどんどんやって楽しく過ごすことをお勧めするよ。