陰日向なく?
観念
言葉の綾とか昔から言うのだけれども、表現しにくいことをうまく言葉で表す技術の習得はとても難しい。文字で読んだり言葉として聞いてもすぐには理解できないことがなんとなくわかる気がするときがあるのは、その表現が巧みであるのか、ごまかしているのかのどちらかだ。だから幾度となく反芻しなければ腑に落ちないというか飲み込めない。最近急に流行りだした持続可能な開発目標とかいう言葉もそうだね。この言葉は誰がなんの目的で作り上げたのかが一瞬で理解できない。持続可能とはおそらくは地球に優しくという陳腐な表現を言い換えたものだろうし、開発とは今後も社会や技術は発展していくことをを指すだろう。地球環境を守りつつ、開発も進めていけるような目標を掲げるというのがSDGsと総称されている。どちらも魅力的な言葉をくっつけてステキな言葉にまとめようとしたのだろうけれども、相反する言葉をくっつけて例えば公平で平等な社会とか言ってもピンとこない。一体どっちなんだと突っ込みたくなるね。
反論
理想を掲げたこれらの言葉の魔力は、一つ一つの意味に対して反論しにくい点だね。平和な社会を目指そうといっているのに平和なんてクソ喰らえなんて言えない。一方で貧困をなくしたり、差別をなくしたり、きれいな水が手に入るようにしたりしようとする目標もそうだね。そんなものは不要だと言いにくい。ところが二律背反している言葉を平気で使ってそのどちらも実現しなければならないという標語は実は溢れかえっているのも事実だね。一番はどんな会社でもサービスや商品の「品質の向上」を目指しつつ「コスト削減」せよと平気で言っているし、それを聞き慣れた多くの労働者は当然のように思っている。ちょっとゾッとする話だけれど、国連が唱えたこのSDGsは中小企業のポスターのそれと同じノリで掲げられているように見えるね。ムリ・ムダ・ムラをなくし効率化を推進しつつ、一方で顧客のホスピタリティの質を向上せよなんて、ワニの腕立て伏せぐらいにムリな話だ。とことんロボットになりつつ、感情豊かな人情味を大切にしなさいみたいなことがまかり通っている世の中に便乗したのだろうかね。
重点
そもそもやじろべえのように相反するおもりを持ってバランスをとっているとするならば、どちらに重点を置くかという視点が不可欠だということだね。品質とコストはどちらも経営課題であることは事実で、相反するふたつを上手にバランスさせたものが評価される。そしてその評価軸は固定ではなくてその時代背景を反映してそれさえも揺れ動いているわけだね。だからその重心をうまく評価軸と合わせられるかどうかの一点に過ぎないわけだ。ところが持続と開発、品質とコストという実際には触れもしないし具体的に形としてはこの世に存在しない言葉が独り歩きすると、とんでもない勘違いを生み出すことを繰り返しているね。人類のこれはバグだとも思えるのだけれども戦争と平和もバランスを取り切れない概念の一つだ。ボロボロになった経験を忘れて戦争をして、また平和のためにと祈りを捧げることを繰り返している。もしかするとSDGsはそれを皮肉ったパロディなのかもしれないね。