メガネ

日々

さぁいよいよクライマックスだというときに、今までとは流れが急に変わって何もかも思い通りに行かなくなった時、なんてついてないんだと文句の一つも言いたくなる。逆に思わぬことがうまく言ってとても運がいいなと思ったとしても、できればそれじゃなくてもっと違うことでそうなってほしいとまた不満が出る。すべては同じようにかけがえのないことなのに、その一つ一つをまるですべてを司る神様のように採点してしまうね。でもそれらを評価する基準は明確ではなくあなたの独断と偏見ですべてが決まってしまう。これは良いこと、これは最悪なこと、なんて日々審査委員のように出来事を決めつけている。ということは、仮に同じことを別の審査委員に評価してもらったら全く違う結果にもなり得るというわけだね。

優しさ

思いとか優しさみたいなものは基本目には見えないね。でもあなたはなぜかそれを感じることができるし、なんならどこにもなさそうなシーンからもそれを見つけることができる。不思議なものでそこになんとなく優しさがあるんじゃないかと探して見るだけで殆どの場合見つかるね。ところがあなた自身がそもそも優しさという気持ちを忘れてしまっているときには探しても探してもどこにも見当たらない。ということはまるで優しさが見えるメガネでもあるかのようだ。あなたがそのメガネを持っていればどんなシーンからも見つけることができて、うっかりそのメガネをもっていなければどんなに目を凝らしたとしても見つけることができないのと同じだ。もしそれと同じ種類のメガネがあるとしたら、何が見えるようになりたいかな。

人のメガネ

同じ近眼の人でも、それぞれ度数が違うようで、ちょっと借りてかけてみてもうまくは見えないことが多いね。それと同じでこの世には数え切れないほどのメガネがある。本当はあなたにピッタリあったものがいいからあつらえるんだけれども、少しずつまた度があわなくなる。メガネを常用している人は、たとえあつらえたばかりのメガネでも数日経てば違和感があったりした経験もあるだろう。あれほど検査したり試しでしばらくかけてテストしたのにも関わらず、新調するたびにそうなる。結局は前よりもちょっとマシだと思ってあなたがメガネに自然と合わせている。さて、そのメガネであなたが本当に見たい世界はちゃんと見えているのかな。たまにはチェックしないとね。