あの頃の歌

日々

古いギター

気がついたら手にしてから30年も経っている。そんな古ぼけたギターを久しぶりにかかえて、できれば上手にあの頃によく弾いていたあの曲を歌ってみようと思う。でも上手に弾こうとあれこれ気にしているだけで、あの当時と同じぐらい下手くそで嫌になる。年数が経っているだけでなにか進歩しているかもなんていう幻想はできれば捨てたほうが良いね。ま、振り返って見るにそのためになにか血のにじむような努力をしてきたこともなく、ただぼーっと生きていただけなので、お酒のように寝かしておくだけで熟成が進むようなものでもない。でもなんとなく歳を重ねているだけでそれなりにチヤホヤされてきたから色んなものを勘違いするようになってしまったのかもしれない。

上下関係

社会的動物として生きていると、先輩・後輩、上司・部下、先生・生徒、博士・助手とかの関係性の中で生きることが多い。それらは単なる呼称でしかなく、したがって本質的にはなんの意味もないのは間違いない。すべて年齢の大小か、階級の上下を暗に含ませることでかなり絶対的な主従関係を強いられるしくみになっている。そもそもで言えばもはやこういった組織を基準としているのはもはや時代遅れなんだろう。体育会では先輩後輩の上下関係に厳格でそこに主従関係を重ねてちょっとしたシゴキに対しても対処できる人間力が育成されると肯定する人もまだまだ多数派だろう。驚くべきことはテレビで活躍している芸能界でも未だに芸歴での上下関係が色濃く残っているらしい。一方でスポーツや芸能の絶対軸は過酷なまでの実力主義で評価される世界だと言うのに、不思議なものだね。厳しすぎる実力主義だからこそ、単に年齢や期間だけは身内で認めてあげようという優しさがそこにあるのかもしれないね。

謙虚

どんなに隆盛を極めたところで、それは歴史になるかもしれないけれど多くの人は忘れてしまう。忘れてしまうからこそ歴史の先生はテストの問題にしやすいわけだ。栄枯盛衰・盛者必衰・諸行無常の類の問題の一部ぐらいでしかないだろうけれどね。だからそんなことを気にしたりこだわっても仕方がない。それよりもいつでも無邪気な子どもに戻れるかどうかが、楽しく過ごすコツだ。だって一番毎日が楽しくてキラキラしてワクワクして生きていた頃がそれぐらいな人が多いだろうから。いや、今がそうだよっていう人はそのままでいいしこの話なんて全て不要だ。ただなんとなく年をとって経験もそれなりにしてきたと自負もある。だからといって頭も下げられずに妙なプライドが邪魔して何もかもうまくいかなくなっているのに、それさえも直視できなくなっている最悪な人に思い出してほしい話だね。ほら、見栄張ってうまく弾かなきゃかっこ悪いとか思ったりするから、変に力が入ってしまって、せっかくのギターが歌ってないんだよ。