耐える

日々

痛み

痛みは辛いことの象徴だね。さらに一瞬の痛みで世界がかわってしまうほどのインパクトを持っている。傷の痛みもそうだけど心だって痛みを感じることができる。さらにはかなりの伝搬力というか共有力みたいなものがあって、他人の傷を見ただけでも痛みが想像できるくらいの影響力を持っている。痛みを緩和することでまずは精神を冷静に保つことができる。痛みは一種の興奮状態ともいえる。そうやって感情が仲間にも共感によって伝わることは仲間とか協力という概念を生み出した。ポジティブな感情でも協力関係は成立するけれど、どちらかといえばネガティブな方がより強固な関係になりやすい。いいことよりも悪い事の共感と増幅が起こることが多いのでより気をつけたほうが良い。

ブレーキ

痛みはときに行き過ぎたりやりすぎたりしないブレーキになったりする。そのことで思い通りにならない怒りまで起こしては本末転倒だね。安全装置としての痛みを恨むなんて、ブレーキかけながらアクセルを踏むようなものだね。そういうちぐはぐな行為を恣意的にやるのは、システム全体の理解不足でしかない。装置はあなたを守るように出来ているけれど、その安全装置をあなたが面倒に思って解除している。バカみたいな話だけど似たようなことが日常にたくさん転がっているんじゃないかな。結構無理して練習して世界一を目指し達成した人は勇者として永遠にその栄光は讃えられるけれど、いくつかの安全装置をキャンセルしたがゆえにその寿命は長くなかったりする。もちろん長生きそのものが目標となったのはここ最近だけど、かといって夢を叶える競争に勝つためにムリのし過ぎはよくないかもしれない。

耐える

痛みに耐える、我慢することが賛美・称賛される文化がそこにある。さらにはその向こう側には報いが必ずあったりするね。これもよく考えると痛みは生き抜くシステムに備わったアラームであり、一方でちょっとした警告音にビビってすべてが安全圏で生きることも不可能だ。その加減を上手にバランスを取りつつ生きることが一番良いわけだ。だから時には思いきって大胆に行け、となるしそのときの痛みも勲章ぐらいに思っている。その勇気を称えるにはシステムとは別の評価軸が必要だ。だから矛盾した痛みに耐えるという文化が生まれたわけだ。こうして本能を超える力で発展してきたのが人類なわけだけれど、耐えるシステムを生み出した以上、種としては長続きできないんじゃないかな。まぁ、もしかしたら人類は自ら人類をやめる日がくるかもしれないけれどね。