関係ないね

日々

貯蓄

おそらくあなたは幼い頃から、お金については、思いつきで無駄遣いはせずにできるだけ貯金しておきなさい、と言われて育った世代だね。経済学では貯蓄は未来の消費として定義する。いつ使うかが問題であっていずれ貯金は消費にまわるはずなんだけれど、そのまま亡くなって身寄りもいなければ誰かに没収されていくわけだ。まるで人生ゲームに大成功して終えた後、箱の中にしまうかのようにね。あれほど夢見たせっかくの未来も来なかったわけだね。なら、手元にあるお金は今やりたいことにどんどん使うのがベストな解となる。特に最近では円安も進んでいるし、先行きなんて投資のプロでも精度を上げた予測をするのはとても難しい。せっかく我慢や苦労してためた資産が勝手に目減りするかもしれない。金利がたっぷり多い時代は貯蓄には資産形成の役割を担っていた。けれど金利がゴミみたいな現在においてはもはや銀行に預ける意味はない。かといってタンス預金にするのも面倒だから引き落とし口座のためにプールしている一時置き場みたいなものになっている。

将来

すべての幸せは今にはなく、未来にあると嘘を喧伝したのが資本主義社会だね。給料もその場ですぐにくれるところはまだ少なく、月末に先月分が支払われる事が多い。給料を日本円でもらっているからピンとこないかもしれないけれどその相場が急速に変動するだけで価値は変化する。だから実はその日のレートでその日のうちにもらったほうが労使契約とすれば健全だね。ハイパーインフレが生じて一ヶ月でものの値段が2倍3倍となる世の中で、同じように毎月20万とかもらっている場合ではない。利子の発明が社会を大変革したのは、何も金融工学だけでなく、その概念に引きずられて楽しいことは先延ばしという常識を生み出した。今我慢するのは未来の幸せのため、不測のリスクにも対応できるように備えておく。それが少なくとも不幸に対する備えだと思いこんでいる。楽しいことは今になくて、いつかくる未来にしかない。なら楽しいことを味わえるのは死の間際になるのは必然となる。だから、来世とかあの世とかを生み出さないと辻褄が合わなくなったわけだ。

享楽

そうやって不安ばかり煽って、心配事が次から次とやってくる人生を恐る恐る進むことになる。そんな状態で今を生きろとか、今を楽しめとかいわれても困るのは当然だ。そしてその先にはなにもない。一体何のための人生なのかと考えるだけで苦しいので、もはや思考停止して無反応に生きている。未来には成功があって輝かしい幸せがまっているなんて嘘に騙されないでね。後先考えずにやってみればいい。そこに意味も不要だし、大いなるムダでも良い。そんなんで失敗したらどうする、と生まれてからずっと脅され続けてきたかもしれない。それは悪魔の言葉で本来の意味はまるでないね。失敗だと思ったらやり直せばいいだけだ。人生惨めになるとかいうやつには、惨めかどうかは他人ではなくあなたが決めるので関係ないね。運が悪かったら死ぬだけだ。すべての人が行き着く先だからそれも全く心配ない。