まんじゅうこわい

日々

知らない

今まで会ったことのない人には警戒する。初めてのことはドキドキして緊張する。未知の場所へ出かけるにはかなり勇気がいる。これらに共通することはあなたはまだそれらを「知らない」ということ。知らないことに慎重になるのは生き残るための本能だろう。でもそれらを何回も重ねていくうちに知っていることになると、それらの警戒は解除される。それはどう対処したり対応したりすると大丈夫かがわかるからだね。中には一度ぐらいでは対応方法が確立できないものもあるからすべてというわけではないけれど、それでも得も知れぬ恐怖からはいくぶん開放される。だから知らないことには慎重過ぎるぐらいでちょうどいい。

わかった

しかしそれらの知見を得たものには、当初の警戒モードを解除してより知恵のある対応をするのが普通だね。いつまでも知らないから怖い怖いと思っていたらそこから変わることはできない。もっと言えば一寸先は闇といわれるくらい、ほんの数分先も予測ができるわけではない。でも普段はこの調子ならおそらくこのまま穏やかな時間が流れるだろうとリラックスすることができているはずだ。そうやってうまく緊張と緩和を使い分けることでこれまで生き残って来られた。だからいつまでもわからない未知なものだから気をつけろと言い続けるにはおそらくよっぽどなにか他の意図があってのことだろう。これまで世界中の人々がそれこそ細心の注意を持って観察した結果が、それほど恐れるようなものではないと結論づけられたわけだからね。

解明

それでも変化し続けるから注意はしたほうがいいのは事実だろう。でも、それがメリットとデメリットを天秤にかけた結果、それほど注意しなくても大丈夫という判断を個々でしたならそれでもいいね。もっというとゼロリスク主義みたいな変な風潮を撒き散らしている根本はどこにあるかを注意深く観察した方がいいね。晴れているときもあれば雨のときもあるように、身体の調子も同じ自然の一部だね。色々変化があって当然のこと。だからこそこれまで体験した知恵をフル動員して、生き抜くことを楽しむのが人生そのものだと思うよ。いつまでもよくわからない検査をして数を数えるようなことを続けても、その波に翻弄されているだけで結局それをなんとかするとか考えないほうがいい。だってちゃんと見たらそんなに怖いものではなくなっているんだからね。