ワクワク

日々

忙しい

もし本当に時間に追われている日々を過ごしていたとしても、忙しいという言葉は自ら発するのはやめたほうが良い。忙しいというのは自己肯定感を下げてしまう言葉だし、なにより自らに言い訳してごまかそうとする言葉だからね。そういう否定的な言葉を少なくともあなたから使うのは避けたほうがいい。忙しいという言葉の魔力は、一度使い始めるともう二度と後には引けなくなってしまう。だから何がどうであっても忙しい、そんな暇はないとオウム返しに言うことしか選択肢がなくなってしまうことだ。そうなるともう悲惨だね。誰からも相談すらされることもなくなって存在価値も消えてなくなってしまう。

なぜなら本来生きるということは暇なことだからだね。もちろん、生きるために嫌な仕事をして幸せと不幸のトレードで僅かな日銭を稼いでいるという人も多くいるだろう。本当は働きたくないんだけれど、生きるためには仕方がないから人生という有限の時間を差し出している。その時間は拘束されてしまうので、生きる暇の中から差っ引かれるわけだ。残っているのは最低限生きるための食事と、衛生周りの諸事と睡眠だね。寝食を忘れて頑張るというのは生きることそのものへの反逆の言葉なので、最近では使わないようになっている。寝て食べることそのものが生きる上で不可欠であり、それを忘れるというのは死を意味する。大げさに言っているメタファーに過ぎないので本気にすること自体がナンセンスだね。

嫌なこと

一方で嫌なことをしないという生き方は幸せに直結する。ところがその嫌な成分をあまりにもなくしてしまうと、どれが嫌なことなのかもわからなくなる傾向にある。だから少しの苦味を残しておくのが上手にやりくりできるコツだね。それでも嫌なことをせず、あなたが得意なことに注力するのは生きるという意味において正しい楽しみ方であることに間違いはない。もちろん今のようにわざわざ嫌なことを心を無にして辛い世界に飛び込むというのもスリリングだろう。けれどもそれで生きる原則である、暇な時間を確保できないとすればやめたほうが良いね。人生は壮大な暇つぶしなんだから、その本質を見失うと辛く悲しいものになってしまう。ちょっとしたスリルと恐怖と苦味を期待して、ジェットコースターの搭乗口に並ぶような感じがちょうどいいね。