知らない幸せ

日々

再確認

旅に出る目的は人それぞれだろうけれども、現代ではほとんどは見たかった景色を見たり、食べたかった特産品を食べることに集約されるね。本当は見たことのない場所へ出かけたいんだけれども今ではほとんど難しくなっているね。だって旅行ツアーのパンフレットにも、Google mapにもその場所の写真がしっかりと掲載されてしまっているからね。ましてや有名観光地なんて山ほど写真や動画が見られてしまう。一昔前の旅の醍醐味は見知らぬ土地で見知らぬ景色と出会う、まさに一期一会を楽しむのが目的だっただろう。そういう未知なる世界をあれこれと想像してドキドキ・ワクワクしていた本来の楽しみを情報化社会は随分と矮小化してしまったとも言える。

自動化

世界中の道路が地図に刻々と記録されており、もはや地図に載っていない道を探すほうが骨が折れるね。もちろんすべての路地や獣道までが掲載されているわけではない。けれどもどんどん衛星写真で俯瞰して見える場所のほとんどはスマホの画面から見つけることができるようになっているね。それぐらい地球が丸裸にされてしまった。未だに地球は平面だと言い張っている人たちもいるようだけれども、そうでも考えないと全部が明らかになってしまうと本来の生きる躍動感というか冒険や勇気などがすべて茶番劇に成り下がってしまう。そんな合理的すぎて夢の欠片もない世界を生きるために生まれてきたわけではないと主張する気持ちも少しはわかる気がする。すべて自動化されてしまうと、地図に載ってない場所には行けない世界が待ち受けているわけだからね。

将来

早く大人になって独立して自分で何でも決めて生きていきたいと願っていた少年が、そこから実際に大人になって思うことはちょっと残念なお知らせばかりだろう。大人ってすごいと思っていたあの頃の方が、生きることへの情熱が燃え盛っていたね。ところが蓋を開けてみるとほとんどの物事が思っていたそれとは違う。どちらかというと多少「がっかり」することが多い世の中になった。さらに情報と合理化が進むに連れ、あと死ぬまでにどうなるかぐらいの予測までつくようになってしまったね。もちろん、未来なんてどうなるか誰もがわからないものであることには間違いないんだけれども、そうは言ってもおおよその道筋が見えてしまって諦めてしまうことばかり。そうなると未知なことすら起こさないように自らで封印してしまうことになる。もっとワクワク生きるには、過剰な情報はかえって邪魔だから時にはシャットアウトするのも必要なんだよ。