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誰かの人生
あなたはもちろんあなたの人生を生きていると信じている。ところが、あなたは誰ですかという問いに対してきちんと答えることは困難だと気づく。すると、これまでのことは一体どこまでがあなただったのかを再考するようになる。ますますあなたという存在は個別的なものではなく、その他の人というよくわからない存在との対比によってでしかあぶり出せない不安定なものだと認識するようになる。それでは一体これまでのすべては一体何だったのかという思いになって絶望の淵に立たされる。でも、立たされたところで何一つ変わらない毎日が通り過ぎていく。もはや誰の人生でもない感覚になる。それが答えだと言われてもピンとこないね。
科学的根拠
医学とか生理学とか生物学的にもこれらの証明はとても難しい。かと言って魔女狩りや生贄時代に戻れるわけもないけれども、祈祷師が病を治すこともまれにあったんだろうと推測できる。病は気からと言われるように科学的エビデンスをしっかりと裏付けるために未だに偽薬試験は欠かせないね。小麦粉を元気になる魔法の粉だと信じて飲むと、不思議なことに効果が現れる人がいるのは厳然たる事実だね。ならその効能の科学的な根拠は現代の科学では「そういうこともある」としてそのまま認めるしかない。要するにミクロでみれば単純化して原理的に解明することが個別のケースとしては可能になったけれども、それらが縦横無尽に関連する複雑系になると現代のスーパーコンピュータの演算能力でもパラメータが多すぎて近似値が出せないわけだ。
陰謀論
だからいつまでたっても世の中を裏で操っている人がいるという陰謀論は否定できない。正確に言うと「わからない」ことだし根拠もない。一方で根拠がしっかりあることも「陰謀論」として片付ける傾向があるのが気になるね。白黒はっきりさせる二元論的な分類をしたがる傾向にあるけれども、現実はもっとグラデーションだね。白と黒どっちだ?なんていう言い方はとても人類の脳には心地良いみたい。その中間でもどちら寄りなんていう曖昧さを排除しないと、それこそ先のスーパーコンピュータのように変数のパラメータが多すぎて計算不能となるわけだ。その原因はなにか。現代人はおそろしく文章能力が低下しているせいだね。文脈とかコンテキストとかグラデーションをメタファーで表現されていることが回りくどいとなる。世界は言葉でできており文字で表出されている。今後の世界は大きく変わるのもきっとそのせいだろうね。