内省
批判
物事やその人のやり方の良し悪しを判断しなければならないこともあるね。できれば何も言わないほうがトラブルも少なく済むから、そういうのからうまく逃げて上手にやり過ごすことができればそれが一番かもしれない。けれど、避けられないとすればちょっと覚悟してやるしかない。これがやりにくいのはどうしても良いことばかりだけですまないことだね。あえて一番の弱点を指摘しなければならないから余計な気を遣うことが多いね。言う方も言われた方も傷つくとすれば、そもそもなんのためにそれをしなければならないのかと思ってしまうことがほとんどかもしれない。でもこれらを自らに向けてみるとどうだろう。なかなか難しい自らの欠点に真正面から対峙せざるを得ないのは辛いけれども、そのことによってどう改善していくかを真剣に考えることができ、少しは進化していけるかもしれない。批判は常に自らに向けることが一番だと気づくわけだ。
恫喝
最近ではそういう事例も目に見えて少なくなったかもしれないけれど、欠点をあえて大きな声で指摘して怒鳴ったり、叱ったりする人も中にはいた。それらも常に自らを批判して自らを改善しようとしている人から見れば、明らかなのは他人の欠点を見つけるのに長けていて、自らの欠点から逃げている人だね。自らが常に批判にさらされて、その中でより良くなるにはどうするかを考え続けてきた経験があるなら、怒って何かを正したり改善したりなんてできるわけがないことを十分に体得しているはずだ。その十分なる納得がないから、思い通りにならないことに対して怒りをぶつけているだけだね。これは気をつけないと躾と称して暴力を正当化してしまうことにつながってしまうから細心の注意を払わないといけない。さらに恐ろしいのはそれが相手のためにしてあげているという正義にすり替わっているから、やっている本人は良いことをしていると勘違いしていることが多い。
ごまかさない
それもこれも解決策としてはシンプルで、まずは自分としっかりと逃げずに、ごまかさずに向き合うことだ。これが簡単そうでやってみるととても難しいのでびっくりするだろう。もちろんそれで自己肯定感が下がってしまうだけならやらないほうがいい。けれどしっかりと向き合うことがうまく行けばそうはならない。自らの悪いところや不足しているところだけがすぐにたくさん見つかるのなら、あなたは他人の欠点や不足ばかり見つける能力だけが発達した証拠だから注意したほうが良いね。逆に自分の悪いところが見つからない人は、きちんと自らの現状把握が十分でないことになる。すなわち、今何が必要で何があればいいかという分析力が欠落しているということだ。正しくそれらを掴むことができないならば、あなたがこれまで対処してきたことがほとんど的外れである可能性が高いね。それほど練習が必要なことだから、今から焦らずにじっくりと自分と向き合ってみよう。少しずつで十分だからね。