獣が見る夢
精神と科学
科学的事実が絶対真実という風潮なのが現代社会だね。それに反してスピリチュアルというか精神世界的なものへの懐疑心と軽視がセットになっている。宗教的な儀式なども含まれるね。ましてや生贄とか魔女狩りなんかは現代ではエビデンス的にも馬鹿げている行為の最たるものとなっている。でも未だそこから脱せない世界の村もあったりする。それに応じて幸せの形も大きく変化した。自然の一部として生きていた動物ではなく、もはや頭脳による概念の発達と高度に文明化した社会を駆け抜ける魂としての存在になっている。なんだかおかしいけれど高度の科学的になるとあなたという存在が肉体そのものというよりも魂にちかくなるわけだ。だから獣臭を嫌うようにスメハラなんて言葉も生まれた。もちろん体臭だけでなく柔軟剤の匂いのきついのとか、香水も好き嫌いがあるから不快に思う人がいるだろうとかいうレベルではなく、それによってもはや肉体的にアレルギー症状が出たりするぐらいになっている。
不即不離
現代ではスケジュールはできるだけ密な方がよく、他人との間隔はできるだけ離れる方がいいみたいね。気持ちは寄り添いあい、思いやりの精神や心を持つべきだけれども、肉体的関係性は密にならないようにする。もはや心の世界だといえば聞こえがいいね。どうしても肉体的な接近や接触は動物としての原点の部分がクローズアップされてしまうね。そんなこんなで実態の野蛮な生物としての存在よりも、2次元や仮想空間上の存在の方がもはや神と呼ぶべき存在として認知されているのだろう。メタバースなんかもそうだね。YouTubeで猫を見るのは大好きだけれども、実際触ってみたら抜け毛は気になるし、口臭はきついし、トイレなんて室内に置くのはまっぴらごめんという人間という生き物が多くなった。すなわち、すぐに病気になったり動物を食べないとやっていけない獣としてのあなたを否定しようとしている。あなたはとうの昔に自然を忌み嫌い、捨ててしまったということにほかならないね。
文明と自然
都会はとてもきれいに整備されている。その中で生きる現代人としてのあなたは、毎朝シャワーを浴びて汚れを洗い流し、体臭を消して、美しくクリーニングされた服を着て、磨き抜かれた靴を履いて颯爽とコンクリートジャングルを闊歩している。美しさや清潔さを極めているあなたに、小さなハエが一匹でもとまってはならないね。ましてや泥だらけの原っぱを転げ回ったり、土埃舞う荒野などに足を踏み入れることはむしろ非日常であり得ないことだと思っている。今では目に見えないウィルスに恐れ、四六時中手指やテーブル、イス、布巾などあらゆるものをアルコールで消毒している。ウィルスや細菌はもはやあなたにとっては最悪の存在であり、死滅、全滅させても何ら問題ないと思い込んでいる。おかしな話だね。すべてが美しく清潔なバーチャルな世界に生きているなにかになろうとしている。それこそ精神世界そのものだよね。そのあなたは数兆個の細菌まみれのおかげでこうして生きていて、数え切れないほどのウィルス由来の遺伝子でできているというのにも関わらずね。