まるごと人生
心の旅
今年の夏こそいろんな旅に行ってみたいとぼんやり考えていた。けれども急にいろんなことが変わってもしかしたら行けないかもしれないと思い始めている。さっきまで心地よい風が吹いていたのに、急に風が止むかの如くね。そうやって、ぼんやりいろんなことを夢見ている毎日を過ごしている。そう思って、もうすでに予約までしたのに泣く泣くキャンセルしなければならないことが無念で仕方がない。そうやってこれまでは諦めるということばかりの人生を送ってきたような気さえする。もう少し前だったら行けたかもしれないなと後悔している。タイミングっていう運の悪さを嘆いてしまうね。なんだか自分だけが呪われているようなそんな被害妄想まで生んで余計に惨めに感じてしまう。
フォーカス
旅に行きたいとずっと前から思っていて、それもどうしようもなく忙しくて行けなかったわけではなく、例年ならもっと前にも行けるぐらいの余裕があったのにも関わらずなんとなく先延ばしにして様子を伺っていた。そのことが仇となって急になんだかどこにも行けない状況になってしまった。ああ、あの時さっさと行けばよかったのにと悔やんでいる。その一連の流れはもう嫌というほど繰り返してきた。でもね、それこそが生きている幸せということなんだよ。生きているから夢を見て、安心しているから先延ばしにして、何事もない時間を過ごせた結果、状況が一変したことに気がつけたわけだよ。旅行に行きたいと思っていたのに行けなかったということにフォーカスすればあなたは不幸だと思ってしまう。ところが、旅行に行きたいなと思っていたけれど風向きが変わったということを感じられた喜びに気づけると、ま、それも生きてこそだね。要するに不幸を感じるにはなにか小さなことを特定的に切り抜かないといけないわけだよ。
執着
旅に出ないと生きていけないわけではない。そんなことよりあんなことやこんなことに思いを馳せる方が楽しいね。もちろん念願かなって出立する瞬間が一番ワクワクするだろう。でも、それがたとえ叶わなくてもすでに叶っているわけだよ。旅に出るということに執着すればできなかったことをことさら際立ててしまう。けれど、行ってみたい場所がまた一つ増えたとなると、叶えるための夢がまた一つ増えたわけだ。もちろん叶えるということは、現状は不足していることを意味するね。お金持ちになりたいと思っている人は、お金が今は足りないと思っているのと同じなようにね。不足しているから幸せではないと決めてしまうとたぶん足りないことばかり気になってしまう。でも足りないことを堪能できる人は、そのままで十分だ。不幸を感じるためには部分的に切り取らないと感じられないように、まるごとを楽しめる人はすべてが奇跡で毎日が新たな発見なんだからね。