所有という幻
あれもこれも
色々気になるものが多すぎて、目移りしてしまう世の中だね。怪しい情報が駆け巡って流行るとバズるとか言って、一攫千金を夢見ている人がなんとかバズらせる施策を色々試している。広告業界やマーケティングの世界ではそれらをひっくるめて「打ち手」なんて呼んだりする。ともかくもどれか一つに決めるなんてとても勇気がいる世界になってしまった。逆にそれほど沢山の選択肢をそもそも知らなければ、選ぶとか迷うも何も決められた道を進むがごとくにそこで悩んだりすることはない。だからある程度情報を絞ったり、遮断することも精神的安定には有用だとされている。処理能力の差は生まれ持って人それぞれ違うだろうから、選択肢を処理する能力もまた千差万別だね。ちょっと情報がありすぎて一休みしたいときには、1日ぐらいスマホを見なくても死んだりはしないからやってみるといいね。
電気と電波
今はSNSでゆるりとつながっている時代だから、うっかりスマホを家に忘れてしまっただけでもその日1日はソワソワして使い物にならない人が多いかな。人によってはムリをしてでも取りに帰るだろうか。それこそ落として壊したりしないまでも、充電が切れてモバイルバッテリーもなければ同じことが起こるね。あるいは山間部にいて、電波が圏外であっても同じだ。だからそういうところに行けない人も増えているかもしれない。逆に言えば電波とバッテリーが充電できる場所に縛られるという意味でもあるね。今では海外へでかけても現地でSIMカードを買えばどの国でも同じように検索したり地図でルート確認ができる。さらに言語の壁がなければそのまま電話することもできるね。従来はとんでもなく高かった外国語の壁も、AIの発達のおかげで意味がおおよそわかるぐらい翻訳精度が向上している。電気と電波さえあれば場所は問わない時代になったとも言える。
消費の変化
どんどん高度に都市化して発展していく世界の先には、もはや消費行動はどんどん限られたものになっていくだろう。住居も所有する必要もなく電気と電波があればいつでも手配でき、必要な期間だけ借りて住むことができる。衣服もそのトレンドに右往左往して頭を悩ませて買ってきたけれども、それもプロがおすすめするセットアップが日替わりで届けばそれで十分。着た後は送り返せばいいサブスクリプションもすでにある。食べるものは今までは厨房でそれほど得意でもない料理をあれこれと作ってしのいできた。レシピはもちろん今では無尽蔵にネットに溢れている。それすらも面倒な場合は、日替わりでプロの栄養士がバランスを考えてくれた食事が届けられるサービスもある。消費は所有からシェアになり、不要なものを如何に買わせるかに腐心してきたマーケティングの世界はすでに終焉を迎えつつあるのかもしれない。