苦い涙
苦味
いつからか苦いコーヒーが美味しく思えるようになった。お茶も苦い抹茶は苦手だったけれど、今では好きなものの一つになった。一番よく言われるのはビールだね。初めてビールを飲んだとき、こんな苦くてまずいものをどうしてみんなうまそうに飲んでいるのかと信じられなかったね。ところが気がついたら今ではその苦味が好きでたまらない。不思議なもので第一印象があまりよくないものを長く愛する傾向にあるみたい。人生の苦味を理解したからだと文学的な表現まであるけれども、果たしてその真相はどうだろうね。
悔い
振り返れば恥の多い人生でした、なんて大宰風に思ったりするけれども、単純にこうありたい、こうなりたいと思っていた道とは全く違うところにいる。僅かな希望やほのかな恋心すら叶うこともなく、それとは違う別の世界を生かされている。こうも思い描いていたことと違うシーンを見せられる人生なのか、なんて達観したように嘆いてみたりする。けれども、まるで達観なんてしていないのが本音だね。そんな高尚な視座ではなく、おおよそ単なる愚痴であり恨み節でしかない。でもそれらに真正面から向かい合う勇気がなくて、きっとそれは酸っぱいブドウだった、なんてイソップ物語のようにごまかしているに過ぎないね。
夢と現実
そうやって人生をうまくいかない芝居のように過ごしてきた。それがあなたを今のあなたに変えていったのだろうか。苦味がいつしかエッセンスになり、さらにはそれが次への活力を養っている。今に見てろと苦い涙を噛み締めて、凄まじいエネルギーで思い通りになった一瞬もあった。その爆発的な力の存在を感じたとき、一方でやればできるという前向きな思いはあらゆる世界を破壊する悪魔のパワーを持っていることに気づき、得も知れぬ恐怖を感じたね。この世界の成功や幸せには血なまぐさい膨大な犠牲の上に成り立っているものが多すぎるからだ。一度それを知ることで、足るを知るようになる。成功や幸せという概念すら他人の借り物だったからね。今度はあなたがその概念を変えていく番だ。うまくいくことだけが幸せではなく、かといってうまく行かないことを言い訳にしても幸せではない。大自然のエネルギーを知ればこそ、今度はその膨大なパワーをコントロールできることに幸せを見出すはずだ。