○かXかで答えなさい
余計な知恵
大人になればなるほど、知恵がつく。それは人生の経験からくる良いことだとされている。ところが、幼い子どもたちはまだなにも知らない。知らないがゆえに最強だったりする。それは空気を読んだり忖度したり余計な物語をつけたりせず、モノゴトをありのままにまっすぐ見ることができるからだね。それ故にそうやってすべてに真正面から向き合ってしまって、とんでもなく苦労したり手間がかかったり、時には怪我をしたりしながら知恵をつけていくわけだ。そしてそれらをうまく学習してそれらのモノゴトを上手にかわすことができるようになったのが大人ってやつだね。だから大人にも選択肢は等しく与えられているにもかかわらず、実はできれば避けたいことばかりになってどんどん生きづらくなっていくわけだ。
二者択一
しかしながら、モノゴトは複雑そうに見えてほとんどが二者択一でできている。今夜はお肉よりお魚が食べたいな、とか、ビールより焼酎がいいかな、とか、あの人よりこの人と一緒にいたいな、とか、あの店よりこの店に行きたいな、とかである。もちろん3つ目、4つ目の候補を作ることはできる。作ることはできると言ったのはそれは後でつけたおまけだからだ。どういうことかというと、はじめの二者択一のいずれも同等かいまいち決め手がない場合に限って余計な候補を生み出すことがほとんどだからだね。そもそもでいうと、やるかやらないか、食べるか食べないか、飲むか飲まないかぐらいな選択しか現実にはない。それ以上を望むのならまずは大本のやるかやらないかというところに結局は行き着くわけだからね。それ以上のことはあなた自身で楽しむクイズみたいなものに過ぎない。
伸るか反るか
とりあえず究極的にはやらないという選択肢がないならば、やればいいだけ。それなのにいろんな「やらない言い訳」を探し始めるからややこしくなっていくだけだね。食べるか食べないかで言えば、生きていくために食べない選択肢はないのならば、食べるという選択に固定し続ければいいね。次に何を食べるかはもはやどうでもいいことで、好きなものでもちょっと苦手なものでもよくわからないものでも好きにすればいい。その根本がしっかりと根づいていれば、あとはオプションみたいなもので楽しむための選択肢となる。ところが他人の選択があなたと違ったりすると不満げになることもあるね。でもそもそも生きるか死ぬかで言えばその不満も生きてこその選択肢なんだから、人生の重要な事柄みたいに大騒ぎするのは大げさすぎるわけだよ。