無味感想
二律背反
まるで笑い話なんだけれど、よくあることとして、例えば自由を意識すればするほど、自由に縛られて不自由になる。この構文はいろんな事に使いまわしができるようになっている。応用編として幸せになろうとすればするほど、幸せに縛られて不幸になる、とかお金持ちとかでも成り立つね。一見何かすごいことを言ってそうにみえるけれども、概念が二律背反の関係であるという性質を逆手にとっているだけとも言える。何かあったらまずは上司である私に相談しなさい、と言いつつも相談すれば、そんなことぐらい自分で考えて決められる力をつけなさい、なんて言われたらなんだかな、と思うことはいくらでもあるんじゃないかな。どっちなんだよ、って思うことは矛盾しながら成立しているのが現実社会だと知ってため息ついている。
言葉の綾
それほど複雑な比喩がそこにあったり、文学的な言葉の綾があるわけでもない。けれどシンプルに言えば言葉は矛盾を許容するというバグがある。どっちでも成立するようなロジックを不整合を伴わずに存在させてしまうわけだね。だから、それはあなたの感想ですよね、なんて言われたら何も言えないわけだ。なぜならすべてがそうであるし、そうでないからだね。すでに何が言いたいかが決まっていて他人がそのボロを突っ込めないように磨き上げた自信作を持ち寄っていることになる。そこが一番の論点にすり替わって、本質として魂が磨かれるなにかを体現したロジックマシンなのに、それは魂を磨くことをよりも自己矛盾をできるだけ排除したダシガラみたいなものにすり替わってしまっていることが多いね。
感想
自己矛盾があるとプログラムでは論理エラーや構文エラーになって動かない。だから躍起になってそれらを虱潰しにつぶしていくことをデバッグと言っている。そう、今の言説は総じてプログラミング的なものにすり替わっていて、エラーを徹底的に排除したアルゴリズムが素晴らしいとされてしまっている。もちろん文字や言葉という言語の世界に着目すれば、論理矛盾を現実に許容する言語自体のバグがあるなかでそれを巧みに避けることは一種の芸術ではある。しかしながら、困ったときに相談すべきか自ら解決すべきかという生き様を指し示す言葉とはまた違ったなにかに成り下がっている。みかけの構造や矛盾のなさに美しさを見ても、それはあくまでも言語上の世界のものであって、言語上ではない生命の世界ではまた指し示す美しさの次元が異なっている。ま、これも単なる個人の感想に過ぎないけれどね。