第三者委員会
見える化
感覚で物事を判断するのは個人的には賛成なんだけれども、組織的にはちょっと慎重にならざるを得ないね。なぜなら個人の感覚が組織の方向性を決定する根拠データとなってしまって、しばらくはその「曖昧さ」をベースに決断していくことになってしまうからね。もちろん近似値として成立していれば大事にはならないかもしれないけれども、そもそも感覚はあなたとわたしという2つぐらいの関係性で決まってしまう。だからより精緻さを求める計算に使ってしまうと結果がとんでもなく乖離してしまうわけだ。徹底的に感覚でいくのであればそこの乖離も感じ取って計算結果なんて無視すれば帳尻があうだろうけれども、変なところでデータを根拠にするという癖がついてしまっているので、ま、結果はグダグダになることがほとんどとなるわけだ。
思い入れ
さらに助長するのが思い入れの度合いだね。期待値が高くなるとその分誤差が増える。期待値が低いほうが正確になるのは、熱意というフィルターがマシマシの方向に働くことが多いことが原因だ。だからどんなときも冷静さを保って数値という言語に翻訳していくために、全くの第三者がカウントする必要がある。それを組織の長やリーダーにやらせてはならない。これは鉄則だね。監査なんていうのも経営陣自らがやらないことになっているはずだ。でないとマシマシ・モリモリになってしまうのが人間の常というもの。そりゃ誰だって悪い数値を直視するのはちょっとやそっとの精神力では難しい。それで取り乱さず冷静さを保つほうがサイコパスだよ。
認知とSNS
今はSNSというネットワークが発達して誰でも使えるような時代だね。だからとにかく有名になりたい、フォロワーを増やしたい、という思いを持つ人が多いのかな。有名人になりたい理由はおそらくちやほやされたいということだけではなく、そのコミュニティを使って活動したいということだろう。オンラインサロンとかオフ会とかグッズ販売なんかがそれにあたるのかな。一方で信者ビジネスと揶揄されるように、それらにはファンサービス以上の効能はおそらくないだろう。そういうコミュニティに属する人たちの思惑も、主催者と同じような「有名人と友達である」とか「有名人になって同じことをしたい」というほぼ同じ動機で寄り集まっているとすれば、おそらくは長続きはしないね。そういった動きのデータを冷静に分析することができる人は、そもそも一つの組織にずっと熱狂的には属さない。感覚的に判断している人は、長続きする傾向にあるかもしれない。感覚は素晴らしい能力ではあるけれども、時々第三者にチェックしてもらうのもいいかもしれないよ。